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Channel: 田房永子の女印良品
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母親の価値観押し付け問題

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 去年の夏、複数の女性たちと食事をしている時、うちの子(Nちゃん・女児・当時0歳6ヶ月)の写真を見せる機会があった。とっておきの1枚を見せると、「え…何コレ。普通のないの?」と言われ、衝撃を受けた。それは、緑とか黄色の派手なタキシード風の柄がプリントされた服を着用し、おもちゃのマイクを小指を立てて持っているNちゃん。寝転がっているので、五木ひろし風に目が細くなっている。なんでもない写真よりは間が持つはず、と思って人に見せる写真はこれと決めていたけど、“おもしろ写真”的な感じで逆にサブいんだ…とその時気づいた。それでは、と、代官山系の超オシャレ子供服店で買った、渋くてカッコいい茶色のカバーオールを着た写真を自信満々に見せると「だからこういうのじゃなくて…」とたまりかねた一人の女性が私のスマホをいじくり、「これだよ! こういうのだよ!」と、私の姑が買ってくれた小花柄の服を着て普段どおりの顔で写っているNちゃんを指差した。他の女性も「あ〜、これだよ。やっとNちゃんが見えた」と言う。かなり大きな衝撃を受けた。

 「他人の子供を見る行為は退屈だろうから、よりコメントしやすい写真を選んで見せなければならない」という私個人の強迫観念と不必要なサービス精神が、「Nちゃんの個性」を妙な方向へ脚色する。私は子供の頃、自分が母親に話した学校でのエピソードを母親が盛りに盛りまくって爆笑エピソードに変えて周りの人に披露するのがいやで、よく抗議していた。「私はあんなことしない」と思ってたのに、半年でやってる!
 夫に話すと「Nちゃんの服、ピンクとか女の子っぽいの、ぜんぜん買わないよね。小花柄の可愛いのがあるよって言っても、無反応だったよね」と私のことを指摘した。確かに小花柄の服を薦められた、だけど私はぜんぜん可愛いと思えなくて、タキシード風の服(BIGBANGのG-DORAGONもほぼ同じの着てた)を買ってしまう。後日、赤ちゃんの集まりで服を見てみると、小花柄が圧倒的に多くてビックリした。
 「小さい頃、女の子っぽい服を着せてもらえなかった」という女性はすごく多い。私は「なんで女の子にピンクとか着せないんだろう? 私は着させますよ、こだわりないですし」と思ってた。なのに、実際は無意識のうちに中性的な、ひょうきんな、珍しい服しか着せてない。自分自身も小花柄を選んで着たことが一度もない、ということに気づいた。
 小学生の頃は、「お気に入りの服」がなかった。服は母親が選んで買ってくる。自分に選択権はなく、「着たくない」と学校に行く前よく泣いた。男の子用のゴツいズック靴や、たくさんの外国人の笑顔が全面にプリントされた奇抜なトレーナー、変わった形のパジャマを「『服だ』って言いなさい」と言われ、拒否したのに修学旅行へ着て行くことになり、「パジャマだ!」と男子に一瞬でバレたこともあった。当然だが、パジャマは生地が薄くて寒い。パジャマで山登りさせる母の気持ちが分からない。パンツも大人用のスキャンティ的な小さいものを買い与えられていた時期があったのも記憶している。本当に本当に、着たくない服を着て学校生活を送るのは、苦痛だ。服装は、子供の「自分を大切にする気持ち」を育てるのに超有効なアイテムだと思う。私は、子供には子供用の下着を着させたい。だけど、自分の中に、母と同じ片鱗を垣間見て、寒気がした…。

 まずは自分自身が変わらなければならない。小花柄の似合う女性になってみよう。そう決意した。ファッションに詳しい人に相談すると「コンサバ系ですね。セオリーとかアナイ、ZARAとかはどうでしょう」とメールが返ってきた。コンタクトレンズを購入し、パーマをかけてフェミニンスタイルにした。お金を持って、言われた服屋さんへ行ってみた。いよいよ大変身が始まる。きっと、今まで見えなかったものが見えるはずだ。私はもう、ママのピエロじゃない。
 だが、愕然とした。欲しい服が一枚もない。マジで一枚もなかった。レースの襟がついたブラウスを鏡で合わせても、心はまったく躍らなかった。それに、小花柄の服は細めの体型の人に似合うものなんだと知った。ならばダイエット、と思うのだが、“小花柄を着る自分”を想像するだけでなぜか眼球が痛む。そのうちに、今までの自分を否定した反動か、気づくと美容院で頭の下半分を刈り上げにしていた。全力で小花柄を拒否する私の血液。今は「Nちゃんがこれが着たい、と言ったら、高額でない限り、自動的に受け入れる」という決まりを、脳に念じるだけの毎日を送っている…。


批判的な手紙をもらう

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 批判的な手紙を49歳の男性からもらった。封筒の中にはプリントアウトされた紙の束が入っていて「この手紙は、貴台および貴著に対してかなり激しい表現を用いています。田房さんの心の平和を乱すおそれがあります」と、仰々しい前置きが書かれた表紙が1枚ついていた。母との決別を描いた私のコミックエッセイ「母がしんどい」の感想で、こんな「批判です!」って感じのが送られてきたのは初めてだった。「注意! まず編集部が読んでから、田房さんが読み耐えられるかどうか判断してから本人へ渡してください。無理と判断した場合は破棄してください」と書いてある。編集部へ送られてきた手紙は、私より先に編集部が封を開けて読むことはない。どんだけ私はこの手紙からヒドく罵られるのだろう!
 「著者は自分自身のことしか目が向いていない」とか「○○ページにある結婚式のエピソードで、主人公は怒って両親との決別を決意しているが、そんなに怒ることでもない」とか「両親の問題でなく、腹を立てる自分のほうの問題なのだ」とか、マンガの中で母親を悪者にしているが、著者にも原因がある、ということが書いてあった。
 「母がしんどい」は、なんでもかんでも「あんたが悪い」と言われて育ってきて、何かあるととりあえず自責してしまう人が、「私が悪いわけじゃないんだ」と気づいて、自尊心を修復するために一旦「母親(両親)」を悪者と捉えることで前進する、という話として描いたので、こういった「母親ばかりを悪者にするな」という感想が送られてくるのは、当然だと思う。男性は「私も著者と同じような母を持ち、同じ道を辿った身だ。だからこそ著者にはより心境を高い位置に到達して欲しい」という。戦いを挑んでもいない相手から「まだまだだな」と言われ、ムカムカした。イヤーな気分になり、1枚目を読んだところで読むのをやめた。
 
 親がしんどいという問題は、段階があると思う。自分の親を「ちょっと変わってる人」として認識している頃は笑い話にできるけど、本格的に親の奇怪な言動が自分に絡んできて生活や健康に悪影響が出始めると、笑っていられなくなる。「フツウの親とはちょっとだけ変わっている親」がもしかしたら「自分の人生を食い荒らして乗っ取るモンスター」であるかもしれない、と気づき始める。だけど自分は「私の親はモンスターです」と自覚する人たちの仲間ではない、と思いたい。自認するのに時間がかかり、もしかしてモンスターじゃないかもしれない、と思って何度も親に会ったり関わって確かめてしまう。そのうち大変なことをしでかされ「モンスターだ」と認めざるを得ないところまできてやっと、エイヤッ! とあっち側の世界に飛び込む。行ってしまえば、意外と気がラク。「普通」の世界では普通じゃなかった自分の親が、こっちでは「普通」であることに拍子抜けした。
 しんどい親の問題は、そういう段階があるから、「うちの親はヘンじゃない。うまくいってる」と言いながら、親と密接な生活を送ることによって不健康になったり、生きる気力を失くしている人に対して「親と離れればいいんだよ!(もう一段階上がりなよ!)」って私はつい言いたくなる。
 「大人になってるのに、そんなにお母さんから生活のお世話をされてたら、精神的にしぼんでしまうのは人間として当たり前だよ。お世話される度にあなたは『やってもらって申し訳ない』と思わなきゃいけないことになってて、自分は何もできないと思ってるけど、『何もできない』のはお母さんのほうなんだよ。子供のお世話をすることでしか活き活きできない、お母さんのほうに問題があるんだよ。お母さんにとってのあなたの価値が『何もできない』ってところだから、あなたが生活の何かができたら、お母さんは困るんだよ。だからあなたのお世話をすることで、あなたを『何もできない』人にしつづけながら、自分の生きがいも保っているんだよ。あなたはむしろお母さんのために生きているんだよ。だから申し訳ないとか思う必要はないんだよ」とか、必死に言ってしまう時もある。
 自分が経てきた「段階」にいる人に会うと、「私はそこにはもういない! 今は上の段階にいる!」ってことを確かめたい欲求が噴出する。だからその人に“アドバイス”しているというよりは、その人を使って、今の自分に自信を持たせているという行動に限りなく近い。「あなたは間違ってないんだよ」って相手に言うセリフは、まんま自分が誰かに言ってほしいセリフで、自分の口から出てきたその言葉を聞いて自分が安心しているんだと思う。それを証明するように、私から必死に“説得”された相手はだいたい、「う〜ん…」と首をかしげながら歯切れ悪く視線を落とす。私は一瞬の高揚感と達成感に包まれたあと、帰り道は自己嫌悪する。(一方的なセックスみたい!)

 そういうものを、49歳男性からの手紙に感じた。破って捨てようかと思ったけど、もう一度、ちゃんと読んでみようと思って、封筒から出した。
 「著者が未熟」で「イライラした」ということが6枚に渡って書いてあった。「イライラする」は頻繁に書いてあって、この男性が言うには“著者は本の中で「娘をイライラさせる母」を責めているが、著者もその血を受け継いでいる。その証拠に私はこの本を読んでイライラした”。とのこと。さっき「誰かに腹が立つのは相手の問題でなく、腹を立てる自分のほうの問題なのだ」って書いてたから、私が描いたものを読んでイライラするのはこの男性の問題じゃないのかな? と思ったけど、住所は「神奈川県横浜市」としか書いてないし、名前もおそらく本名じゃない感じで、反論しようがなくてイライラした。「著者は早くに反抗して不良少女になっていたほうが、より健全で爽快な人生を送れたのだ」と続き、「問題を起こさないと、親には無視されっぱなしだ。やるなら早いほうがいい、中学生のときにやるべき」と、「非行の走り方」みたいのが細かく書いてあった。それはこの男性自身が「そうすればよかった」と思ってることなんじゃないのかな、としか思えなかった。「やはり私は、自分の子供をつくらなくて正解だったと思う」と書いてある。もうマンガとは関係のない、男性自身の人生の振り返りが始まってしまい、私は男性の今までを勝手に想像して、勝手に切なくなる、という読み方しかできなくなっていた。だが男性は怒り心頭みたいで「著者にファン・レターを出して励ましてやろうかと思ったが、止めておく。著者は救いようのない人物だ」と書いてあった。男性本人は「抗議文」みたいな感じで書いてるのか、そういえば「1」「2」って段落がふってあって論文形式っぽくなっている。私はこの手紙から「お前が描いた本を読んで、こんなに心がかき乱された」ということしか伝わってこなくて、それは申し訳ないと思う反面、自分にとっては嬉しいことだし、これが「ファン・レター」じゃなくて一体なんなんだよ、と思った。
 とにかく「著者は未熟」という文面が続き、なぜか「まあでも、焦らなくてもいいでしょう」と慰められ、最後は「彼女の航海は、未だ始まったばかりなのだ。以上」で締めくくられていた。なぜか、読み終わったあとは最初に感じたムカムカがまったく消えていて、スッキリした読後だった。数年前の私なら、「お前は何も分かってない」「いずれ分かるでしょう」とか落とし穴に気づいてないみたいなことを言われるといちいちビクビクしていたけど、今は「ある人からは『何も分かってない』と思われる『段階』」を楽しみたい、と思っていることに気づいて、笑顔で紙を封筒に戻した。

パンツを見せる女の子

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 小学4年生の時、「パオパオチャンネル」という関東ローカルの子供向け番組が学校で爆発的に流行っていた。月から金の夕方の帯番組で、曜日によってMCが変わる。毎日面白かったけど、当時スターになったばかりのウッチャンナンチャンがMCをする金曜日は特に人気があった。アメフトの格好をした男子が床に並べられた大きなカルタを取り合うゲームとか、床をプールに見立て床泳ぎの速さを競うゲームとか、「ドラえもん」にまつわるクイズのコーナーなどがあった。そのほとんどが毎週「出演者募集」をしていて、視聴者の小学生が多く出演していた。

 その中で唯一、女子向けの競技があった。「靴下脱がしレスリング」というもので、3対3で敵の靴下を脱がし、1分間で多く脱がしたほうが勝ちというもの。勝ったら豪華なおもちゃやグッズがもらえる。毎週それをボーッと見ていたのだが、クラスの女の子Aちゃんが「一緒に出よう」と誘ってきた。もう一人のBちゃんと、3人で一緒に応募ハガキを書いた。応募がたくさん来てるだろうし、出れるわけがないので「出たいです」「お願いします」とハガキを派手に書いた。チーム名を決めなきゃいけなくて、Aちゃんが「たこ焼きが好きだから、『たこ焼き』にしよう」と言う。Bちゃんが「たこ焼きじゃチーム名っぽくないから『たこたこ』がいいんじゃないか」ということで、チーム名は「たこたこ」になった。

 出演依頼はすぐに来た。翌週くらいに連絡が来て、翌々週くらいにはもうテレビ朝日にいた。私達は大はしゃぎで「絶対に勝って賞品をもらおう!」とはりきっていた。3人のお母さんは「ええ? 何ソレ?」「出るらしいわね」「夕方だしテレビ局なんてこわいわ」というテンションでそれぞれ着いてきた。「靴下脱がしレスリング」に出ている子達が着ている、チアガールっぽい可愛い衣装を渡され、着替える。お母さんたちが、白いお花の髪飾りは統一して3人それぞれ違う髪型にするという、粋な計らいをしてくれた。幼馴染のおばさんにビデオの録画も頼んできた。全てがバッチリだった。

 踏むと足首まで埋まる、ふかふかのマットの上が試合会場。ウッチャンナンチャンが両チームを紹介する。「『たこたこ』でーす! 変てこな名前ですね〜!」と言っていたけど、緊張で3人は固まって黙っていた。このコーナーでは、膝下まである長い靴下をあらかじめ下に下ろしておいて、ウッチャンナンチャンが「は〜い、靴下あげて〜」と言うと女子たちが靴下をあげる、という儀式があった。ウッチャンが「靴下あげて〜」と言ってる時、ナンチャンが「大人になったらストッキングをあげるんだよぉ〜」と言った。靴下をあげて準備万端、ゴングが鳴って、試合開始。相手チームは知らない小学校の女子3人だ。靴下を脱がすためには相手の足を掴んだりしなきゃいけない。だけど私は兄弟がいないので揉み合いの喧嘩とかしたことがなく、アッサリ脱がされてしまった。Aちゃんが相手チームの一人を押さえ込んでるあいだにBちゃんが脱がせたり奮闘していたが、結局「たこたこ」は負けてしまった。

 もらったのは、「パオパオチャンネル」のシールのみ。賞品がもらえなかったことは不服だったけど、楽しかったね〜! とテンションは高かった。お母さんが一言、「ストッキング上げて〜ってなんか変なこと言ってたわね」と言った。

 翌日、学校では思ったほど「見たよ〜」と言われなかった。女子は言ってくれたけど、男子には「出たんだよ」と自分から言った。学校では、取り立てて何もなかった。だけど塾に行ったら、一人の男子が「パオパオチャンネル出てただろ」って言ってきた。誇らしげに「うん」って言ったら、「よくあんなの出るな。恥ずかしくないの?」と言ってきて、本当にびっくりした。その男子が、ヒョロヒョロで、成績がわるくて、みんなからからかわれているタイプの男子だったから、余計に腹が立った。「出てただろ。すげーな、いいな。ウッチャンナンチャンに会ったなんてうらやましいな」と言われると思い込んでたから、ビックリして暗い気持ちになった。パオパオチャンネルに出て「恥ずかしい」ってどういうこと? 意味が分からない。私は本当に、この14年後まで、その意味が分からなかった。

 「靴下脱がしレスリング」は、そのあと2回も呼ばれて出た。本当は勝ったチームしか出られないので、「たこたこ」というチーム名を変えて欲しいと言われ、Aちゃんとスタッフの人が電話口で「スーパーエンジェルX」という強そうな名前をつけた。勝って、プラスチックでできたおもちゃのカメラをもらった。実際撮れるけど、フィルムを入れたりするのが面倒で結局使わなかった。3回目に出た時はクリスマスだったので、いつものチアガールの型に作られたサンタクロースの衣装だった。可愛かった。4回目の出演依頼は「もう面倒くさい」という理由で断った。
 
 それから14年後の2002年、インターネットが普及して、23歳の私はなつかしいものを検索するのが楽しかった。なんとなく「靴下脱がしレスリング」と検索すると、語っている人がたくさん出てきた。衝撃を受けた。「ミニスカートの女の子がパンツ丸出しでもみ合って戦う、めちゃくちゃエロい、伝説のコーナー」として「アダルトカテゴリー」で語られていたから。「あんなにエロいコーナー、今じゃありえないよな」「毎週ドキドキして見てた」「2人がかりで足を持たれて大股開きになっててエロかった」「オカズにさせてもらってました」等等、おぞましき言葉が書き綴られていて、目を疑った。本当に、私は何も知らなかった。テレビを見ている時、出ている女子たちがチアガール風の超ミニスカート衣装でパンツ丸出しなのは知っていたけど、テニス用のフリルのアンダースコートを穿いているとテレビ越しに分かっていたので、「大丈夫だね」とAちゃんとBちゃんと確認していた。私達3人は同じバレエ教室に通っていて、小さい頃からスカートがついたレオタードを着て踊り、チュチュも着たことがあったし、「スカートの下に見える股部分」というものに抵抗がなかったというのもある。普段の生活では勿論あるけど、バレエの発表会ではいろんな衣装を着るのが普通だったから、チアガール風のあの服も、あくまで「衣装」という認識だった。「エロ」という発想は微塵もなく、ただ賞品とウッチャンナンチャンに会えるのが目当てだった。母親たちはどう思ってたんだろうというのは謎だけど、とにかく私達3人と母親たちの間で「なんか変ね」というのはナンチャンの「ストッキングをあげるんだよぉ〜」の一言だけだった。

 「なんか変ね」どころじゃない。オカズにされていた。しかも2002年の時点で、「靴下脱がしレスリング」の録画ビデオを欲しているロリコンたちがネット上にウヨウヨしていた。小学生の頃に関東にいなくて「パオパオチャンネル」を見たことがない人まで、「どうかビデオを譲ってください」「ダビングして頂けませんか」と懇願している。あまりにビックリしすぎて、ブログに「まさか、エロ目線で見られてたなんて知らなかった」と書いたら、コメント欄に「それはつらい思いをしましたね…。私も当時、出演した女の子だから、つらさが分かるんです…。どういう体勢で靴下を脱がされて、その時どういう気持ちだったのか、恥ずかしかったとかいやだったとか、詳しく教えていただけませんか?」と、どう考えても男が打ってるとしか思えないキモチワルすぎるコメントがついて、この人たちは色々マジなんだ、と戦慄し「パオパオチャンネル」のことは心の闇に封印した。

 その11年後の今年、その封を峯岸みなみが解いた。正しくは、あの坊主謝罪動画を見た人の「ここまで追い詰めるなんて」「恋愛禁止なんてナンセンスだ」という反応に対しての、「彼女たちはルールに基づいて自分の意志でやっているんだ」という主張。あの「自分の意志でやっている」という聞きなれた言葉の向こうにいる「AKB48」という女の子たちに、賞品とウッチャンナンチャンに無我夢中に突進している間にパンツを見せまくっていた小学生の自分が重なってしまってしょうがなかった。AKBは実際、衣装のパンツを見せて踊り「パンツ見せ集団」と呼ばれたりもするらしいが、それとは別の投影だ。

 ああいう時、「自由意志でやっている」という発言をする人は、あまりにも「女の子」というものを知らないと思う。自分の気づかないうちに、「そういう目」で見られているということ。あからさまではなく、“華やかなもの”を引き換えに優しく手招きする周りの雰囲気。母親すら気づかないで見過ごしてしまう感じ。自分が「そういう目」で見られていることを知るまでに、タイムラグがあること。気づいた時には、もうそれだけの理由では引き返せないところまで来ていて、自分の意志だと思うしかないことがあること。

 幼くて若い女の子を取り巻く「あの感じ」を男性が経験することは、女性より圧倒的に少ないと思う。でも実際にそういった「女の子の無知さ」はあって、あるからこそ成立しているというものが、世の中にはたくさんある。その「女の子」の大前提の基本がズッポリ抜けた状態で「女の子の意志」を語っているのを見ると、違和感が噴射してくる。だけど、成人した女が「性的搾取だ」という言い方をすると「被害妄想のオバサン」と嫌悪され無視されてしまう。「性的搾取」は一番言い当てている言葉だと思うが、ショッキング性が強すぎて「そんなわけない」という印象を与えてしまう。峯岸さんが坊主にしたことで、せっかく「女の子の無知さにまつわる大前提」を知るチャンスが訪れたのに、前と同じままの状態で、時は過ぎていく。

「呪詛植え」の季節

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 赤ちゃんとママたちと、同じ部屋で遊ぶ機会があった。1歳児の赤ちゃんというのは一緒にいても、赤ちゃん同士でコミュニケーションすることはなく、それぞれが無心に、おもちゃを手にとって投げたり、ガラガラを鳴らしては投げたりするだけ。子犬とか子猫みたいに、おたがいにじゃれ合うということもない。みんな単独で何かをしている。
 
 ママたちは、自分の子が投げたものが他の子に当たらないように見張ったりするくらい。
 その中に一人「そんなことダメ」「そんなことしたらお友達できないよ」「お友達に嫌われるよ」「嫌われてひとりぼっちになるよ」って、延々と自分の子にネガティブな呪詛を吐き続けちゃってるママがいた。

 その子は特に激しく悪さをしてるわけでもないし、何も悪いことしてないんだけど、言われていた。
 ママとしては、楽しく冗談で言ってる感じだった。語尾に「(笑)」が入っている。「あたし、友達いないんで(笑)」系の自虐っぽく、自分の子に向けてというよりは周りのママたち向けの“ギャグ”なんだろうな、と思った。
 だけど聞いてると可哀相だし、絶対に、赤ちゃんにいい影響ないよ。って思った。大きなお世話かもしれないけど、「友達できないよ」だなんて、言う必要のない言葉だと思う。

 母親との関係がしんどい、という人の話で「小さい頃から悪いことしか言われなかった」というのは、王道のエピソードだ。大人になって母親に問いただすと、本人は「そんなの言ったことない」とケロリと忘れている、というのも必ずと言っていいほどセットで語られる。

 確かに、「友達できないよ」ママを見て、母親としてはまったく悪気がないんだな、と思った。むしろ、人前で、いろんな親子と一緒にいる時に自分の子供を罵ると、「絆」みたいなのを感じるんだと思う。わざとヘイトなことを言って、「言える仲」であるのを確認してる。
 知り合いが誰もいない飲み会ですごく心細い時、知ってる人に会うと飛びつきたくなるし、必要以上に甘えたくなる。だけど相手が大人だと、そういうのを抑えなきゃいけない。だけど自分の子供、尚且つ赤ちゃんだと、一方的にそれができる。母親側からすると、とても気持ちよくて、楽しくて、快感だと思う。
 それに、人前で「うちの子ってすごくいい子なんです。最高なんです。かわいいんです。愛してるんです」っていうのを出して周りを白けさせるよりも、「うちの子ダメでしょ、バカでしょ」って言うほうが、体裁がよいというか、ラクっていうのも大いにあると思う。「爆発する子供への愛」と「協調性を重んじる世間」の両立は、ラクじゃない。「世間」に合わせたほうがラクだから、私もついやってしまう。そういうのが絡まりあって、「バッカじゃないの(笑)」「ほんとにダメだねアンタ(笑)」というような口調になってしまうんだと、思う。
 でもそれは子供にとっては一方的で、凶暴なことだ。

 私も、小さい頃から「顔がでかい」とか「顔が可愛いとか自分で思うな」とか「手足が短い」とか、母親からも親しい親族からも言われていた。どれも「かわいいねえ」が前提のニュアンスで、笑いながらだったりした。小さい頃は、顔の美醜についての世間の価値観とか知らないから、「顔がでかい」ということが、悪いことかいいことかなんて分からなかった。「そうなんだ、私は顔がでかいんだ」という認識だけが体の中に残っていく。
 そして、思春期になって、それらの言葉の意味を理解した時、「呪詛」は一気に威力を発揮する。10年以上かけて体内に溜まりに溜まった「呪詛貯蓄」が爆発、ネガティブ成分となって全身の血液に流れ出す。自分で意識しなくても、知らないうちに必要以上に、自分のことを醜いと思い込んだり、嫌われやすくて友達ができないと決め付けたり、卑屈で消極的になる。10代の子供は、なんだかんだ言っても母親やばあちゃんの言葉を軸に生きている。絶対的な信用があるので、全身にまわったネガティブ成分は、心身を蝕みながら排出されずに居続ける。
 やがてそれは、内側から顔や体や脳の造形にも影響を及ぼし、結果的に「マジのブス」とか「マジでダメなやつ」を作り上げる。好きな人が言うことを否定したくない、肯定したい、という子供心が、それらを後押しする。
 そうなってから、母親やばあちゃんが「自信持ちなさい!」とかイライラしながら言ったって、なんの説得力もない。自分達が植えつけた呪詛が発芽してるだけなんだから。

 ここから、自力で「呪詛」を排出するのはマジで大変だ。大人になって「これは呪詛だったんだ」と気づくところまではいっても、「呪詛」自体を体から抜くのは、自分を育てなおすレベルの大掛かりな作業になる。
 いくら格差をつけないように、運動会でみんなでゴールしたって、主演の桃太郎役を全員でやったって、体内に植えつけられた呪詛に対しては、そんな「大人の気配り」は大した効果ないんじゃないかと思う。

 大人になってから、「呪詛植え」の現場を見ると、確かに母親にはそういう意識はないんだなと思う。悪意を込めて植える場合もあるかもしれないけど、私が日常で目にする「呪詛植え」は、公の場で明るく行われる。
 ゆえに「親に悪気はない」「そんなつもりじゃなかった」「だから許すべき」という言い分も理解できる。だけど、子供がそれを理解した上で、「それでもやっぱり許せない」と思うのも、ぜんぜんおかしいことじゃないって、改めて思った。

真似したくない大人<前編>

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 子どもには合気道を習わせると決めていた。

 私は小中高生の頃、よく痴漢にあった。豊島園やワイルドブルーヨコハマのプールで股間を掴まれたり、登校中の自転車で横に来たスクーターが追い抜きざまに胸を触られたり、本屋でスカートの中を盗撮されたり、自転車の駐輪場で「カメラマンです。写真撮らせてください」と言われ断ってるのに写るンですで勝手に撮られたり、ものすごく遅い速度のスクーターであとをつけられたりなどした。それらは私の体をどうにかしたいというよりも、怯えながら好戦的な気持ちを持った私のそういう表情を確認するために、変なことをしているように思える。性的興奮とさらに「いじめ」をした時に人間が感じる「愉快さ」を堪能しているような顔つきをして、彼ら大人の男たちは、私の怒った眼をニヤニヤしながら見ていた。いわゆる「痴漢」という、AVに出てくるような、分かりやすく尻を撫でたりする痴漢なんて、逆に少ない。スカートのひだに沿って指を這わせたり、己の股間をこちらの足にこすりつけようとしたり、「痴漢だ」とハッキリ判別がつかないように痴漢たちも尽力するため、その「やり方」は多種多様に及んでいた。

 中学1年の時、本屋にいたら尻を触られ、その男が私の顔を覗き込んでニヤーッと笑った。恐ろしすぎて、隣にある警察署に走って行き、そのまま被害届を書くことになった。私は血の気がひいて青ざめてしまった顔を上げられないくらい落ち込んでいた。男の似顔絵を描いてと言われ、描いたら隣の部屋からどんどん警察の人たちが見に来て「うまい、うまい」と言って、にぎやかな雰囲気になった。被害届は書くのに何時間もかかり、最後はパトカーで家まで送ってくれた。私は励ましてもらったと思ったし、「犯人捜すからね」と言ってもらえて、元気を取り戻した。警察に行けばいいから安心だ、と思った。次に痴漢に遭った時、また警察に行った。すると今度は「被害届また書く? すごく時間がかかるよ?」と言われ、書かせてもらえずにパトカーで送られて帰宅した。
 それ以来、痴漢にあっても警察には行かなかった。
 
 当時、友人達と「なぜこんな目に遭うのか? おかしい。なぜ、何事もなく登下校できる日がこんなに少ないのか」といつも話し合っていた。電車の中で恐ろしい目に遭って学校で震えながら話すクラスメートがいても、「よくあることだから」と流すことが当たり前になっていることに、「当たり前なことなのか?」と、私と友人たちは疑問を持っていた。実際、私もあんなに恐かったのに慣れてしまって「またか」と思うことを優先するのが普通になっていた。
 あの頃の違和感は、今思えば「なぜ大人は助けてくれないのか」ということだった。でも、ハッキリと思っているわけじゃなかった。それくらい、私の周りの大人たちは「女の子であれば痴漢に遭うのは、誰もが通る道です。遭わないように気をつけましょう(遭ったら犬に噛まれたと思ってなるべく早く忘れましょう)」という空気作りしかしていなかった。
 だから、女子校に通っていた私たちは、「男にとっても痴漢は誰もが通る道」だと信じていた。文化祭で初めて男の子と喋る機会があった時、みんなで相談して決めた最初の質問は「男はなんでみんな痴漢をするんですか?」だった。男の子たちは「はあ?」という顔をして、「みんながするわけじゃないよ」と言った。本当に、心底びっくりした。じゃあ、あの私たちを「いじめ」てくる見知らぬ男たちは一体、なんなの? 誰なの? どんな人たちなの? 私はこの答えを、34歳になった今も知らない。

 あまりにも情報がない状態、なんの教育も受けていない状態で、中学生の女の子がたった一人、電車内で見知らぬ男に変なことをされて、声も出せない恐怖を受けるなんて、理不尽すぎてゾッとする。さらに彼女たちが「よくあること」と恐怖感を麻痺させられていることも恐ろしすぎませんか?
 私は、あの時の大人たちのような「知らん振り」を、自分の子どもには絶対にしたくないと思い、「痴漢撲滅運動」をしている団体に入ろうと思った。しかし見つけることができず、ネットで「痴漢問題」について書くことで、ヒントを得ようと思った。その結果、「自分の子どもが年頃になるまでに痴漢を撲滅することはまず無理だ」という結論に至り、実践的な防御法を教えるしかないと思った。そこで、合気道が出てきた。
 まずは自分がやってみようと思い、合気道道場に行ってみることにした。

 やってみると、すごくよかった。先生に技を習って、倒れたり、大きな体の男の先生を倒したりする。痴漢や、男に絡まれた時に、絶対に有効だと思った。「技」そのものが男相手に使用できるというのじゃなくて、“弱い者いじめ”をしたがっている男に狙われた時、相手に「こいつをいじめてもおもしろくないな」と肌で分からせるような、強い「気」のようなものを身につけることができる、と思った。「こういうものを私は習っている」という、体や心や頭にこびりついた知識が、とっさの時に必ず役に立つ。こういった武道を「やってる」のと「やってない」のでは、まったく違う。お味噌汁を作る時に、出汁というものを使うということを知っているか知らないかの違いくらい、圧倒的に違うと確信した。私は、怒りが湧いてきた。
 どうして私が小学生、中学生、高校生の時、周りの大人は「武道」を教えてくれなかったんだろう? 「女の子は痴漢に遭うものです」と言いながら、なぜ、こういったことを教えずに、「野放し」で、電車に乗せたり、道を歩かせたり、プールで泳がせたりしたんだろう。
 
 中学の時、音楽の先生が授業の合間にこんな話をした。
 「高校生の時、毎朝同じ男に痴漢されてたのね。退治してやろうと思って、友達に頼んで、一緒に乗ってもらったの。その男が近づいてきたら、2人でその男のスーツにペンキをベターッ! とつけてやったの。次の日から、痴漢されなくなった」
 先生はニコニコ笑いながら、おかしくってたまらないという感じで、時々吹きだしながら話していた。クラスのみんなも「先生すごい!」と盛り上がっていた。私は、「ペンキってなんだ? 自分の服にもつくんじゃないのか?」と、楽しげな話になるように膨らませたであろう部分の矛盾のほうが気になったし、それ以上に先生の発する“空気”にすごく違和感があって、この話をずっと覚えていた。
 それから、ルーズソックスが流行っていた頃、私の高校では風紀指導の先生が「ルーズ狩り」をしていた。毎朝、学校の最寄駅で先生が自転車と共に待っている。そこでルーズソックスを履いている生徒を見つけたら、その場で脱がせて、没収して自転車のカゴに入れる。最寄駅からは徒歩20分近くもかかる道のりを、大量の女子高生が裸足にローファーで歩いた。先生は自転車のカゴをルーズで山盛りにして学校へ帰ってくるのだった。

(次週に続く)

真似したくない大人<前編>

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 子どもには合気道を習わせると決めていた。

 私は小中高生の頃、よく痴漢にあった。豊島園やワイルドブルーヨコハマのプールで股間を掴まれたり、登校中の自転車で横に来たスクーターが追い抜きざまに胸を触られたり、本屋でスカートの中を盗撮されたり、自転車の駐輪場で「カメラマンです。写真撮らせてください」と言われ断ってるのに写るンですで勝手に撮られたり、ものすごく遅い速度のスクーターであとをつけられたりなどした。それらは私の体をどうにかしたいというよりも、怯えながら好戦的な気持ちを持った私のそういう表情を確認するために、変なことをしているように思える。性的興奮とさらに「いじめ」をした時に人間が感じる「愉快さ」を堪能しているような顔つきをして、彼ら大人の男たちは、私の怒った眼をニヤニヤしながら見ていた。いわゆる「痴漢」という、AVに出てくるような、分かりやすく尻を撫でたりする痴漢なんて、逆に少ない。スカートのひだに沿って指を這わせたり、己の股間をこちらの足にこすりつけようとしたり、「痴漢だ」とハッキリ判別がつかないように痴漢たちも尽力するため、その「やり方」は多種多様に及んでいた。

 中学1年の時、本屋にいたら尻を触られ、その男が私の顔を覗き込んでニヤーッと笑った。恐ろしすぎて、隣にある警察署に走って行き、そのまま被害届を書くことになった。私は血の気がひいて青ざめてしまった顔を上げられないくらい落ち込んでいた。男の似顔絵を描いてと言われ、描いたら隣の部屋からどんどん警察の人たちが見に来て「うまい、うまい」と言って、にぎやかな雰囲気になった。被害届は書くのに何時間もかかり、最後はパトカーで家まで送ってくれた。私は励ましてもらったと思ったし、「犯人捜すからね」と言ってもらえて、元気を取り戻した。警察に行けばいいから安心だ、と思った。次に痴漢に遭った時、また警察に行った。すると今度は「被害届また書く? すごく時間がかかるよ?」と言われ、書かせてもらえずにパトカーで送られて帰宅した。
 それ以来、痴漢にあっても警察には行かなかった。
 
 当時、友人達と「なぜこんな目に遭うのか? おかしい。なぜ、何事もなく登下校できる日がこんなに少ないのか」といつも話し合っていた。電車の中で恐ろしい目に遭って学校で震えながら話すクラスメートがいても、「よくあることだから」と流すことが当たり前になっていることに、「当たり前なことなのか?」と、私と友人たちは疑問を持っていた。実際、私もあんなに恐かったのに慣れてしまって「またか」と思うことを優先するのが普通になっていた。
 あの頃の違和感は、今思えば「なぜ大人は助けてくれないのか」ということだった。でも、ハッキリと思っているわけじゃなかった。それくらい、私の周りの大人たちは「女の子であれば痴漢に遭うのは、誰もが通る道です。遭わないように気をつけましょう(遭ったら犬に噛まれたと思ってなるべく早く忘れましょう)」という空気作りしかしていなかった。
 だから、女子校に通っていた私たちは、「男にとっても痴漢は誰もが通る道」だと信じていた。文化祭で初めて男の子と喋る機会があった時、みんなで相談して決めた最初の質問は「男はなんでみんな痴漢をするんですか?」だった。男の子たちは「はあ?」という顔をして、「みんながするわけじゃないよ」と言った。本当に、心底びっくりした。じゃあ、あの私たちを「いじめ」てくる見知らぬ男たちは一体、なんなの? 誰なの? どんな人たちなの? 私はこの答えを、34歳になった今も知らない。

 あまりにも情報がない状態、なんの教育も受けていない状態で、中学生の女の子がたった一人、電車内で見知らぬ男に変なことをされて、声も出せない恐怖を受けるなんて、理不尽すぎてゾッとする。さらに彼女たちが「よくあること」と恐怖感を麻痺させられていることも恐ろしすぎませんか?
 私は、あの時の大人たちのような「知らん振り」を、自分の子どもには絶対にしたくないと思い、「痴漢撲滅運動」をしている団体に入ろうと思った。しかし見つけることができず、ネットで「痴漢問題」について書くことで、ヒントを得ようと思った。その結果、「自分の子どもが年頃になるまでに痴漢を撲滅することはまず無理だ」という結論に至り、実践的な防御法を教えるしかないと思った。そこで、合気道が出てきた。
 まずは自分がやってみようと思い、合気道道場に行ってみることにした。

 やってみると、すごくよかった。先生に技を習って、倒れたり、大きな体の男の先生を倒したりする。痴漢や、男に絡まれた時に、絶対に有効だと思った。「技」そのものが男相手に使用できるというのじゃなくて、“弱い者いじめ”をしたがっている男に狙われた時、相手に「こいつをいじめてもおもしろくないな」と肌で分からせるような、強い「気」のようなものを身につけることができる、と思った。「こういうものを私は習っている」という、体や心や頭にこびりついた知識が、とっさの時に必ず役に立つ。こういった武道を「やってる」のと「やってない」のでは、まったく違う。お味噌汁を作る時に、出汁というものを使うということを知っているか知らないかの違いくらい、圧倒的に違うと確信した。私は、怒りが湧いてきた。
 どうして私が小学生、中学生、高校生の時、周りの大人は「武道」を教えてくれなかったんだろう? 「女の子は痴漢に遭うものです」と言いながら、なぜ、こういったことを教えずに、「野放し」で、電車に乗せたり、道を歩かせたり、プールで泳がせたりしたんだろう。
 
 中学の時、音楽の先生が授業の合間にこんな話をした。
 「高校生の時、毎朝同じ男に痴漢されてたのね。退治してやろうと思って、友達に頼んで、一緒に乗ってもらったの。その男が近づいてきたら、2人でその男のスーツにペンキをベターッ! とつけてやったの。次の日から、痴漢されなくなった」
 先生はニコニコ笑いながら、おかしくってたまらないという感じで、時々吹きだしながら話していた。クラスのみんなも「先生すごい!」と盛り上がっていた。私は、「ペンキってなんだ? 自分の服にもつくんじゃないのか?」と、楽しげな話になるように膨らませたであろう部分の矛盾のほうが気になったし、それ以上に先生の発する“空気”にすごく違和感があって、この話をずっと覚えていた。
 それから、ルーズソックスが流行っていた頃、私の高校では風紀指導の先生が「ルーズ狩り」をしていた。毎朝、学校の最寄駅で先生が自転車と共に待っている。そこでルーズソックスを履いている生徒を見つけたら、その場で脱がせて、没収して自転車のカゴに入れる。最寄駅からは徒歩20分近くもかかる道のりを、大量の女子高生が裸足にローファーで歩いた。先生は自転車のカゴをルーズで山盛りにして学校へ帰ってくるのだった。

(次週に続く)

真似したくない大人<後編>

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 先生たちは、パーマ頭に反省文を書かせたり、ピアスの穴を塞げとか、指定以外のセーターを着るなとか、そういうことで私たちの何かを「抑制」してはいた。保健体育の時間には、暗〜〜〜い高校生カップルが暗〜〜い産婦人科で堕胎をし、学校を辞めて暗〜〜〜い人生を歩む、という暗すぎるビデオを見せて、心理的にセックスを禁止してもいた。
 だけど毎朝毎朝クラスの誰かが「またおかしな男に気味の悪いことをされた」と話しているのに、その「一方的な被害」に関しての「指導」は一切なかった。「ペンキで退治しちゃお☆」みたいな話だけだ。厳しくて恐い先生は何人もいたけど、「パブリックな場所で、見知らぬ男から“発情”をおしつけられた時の対処法、心得」というものは一切誰も、教えてくれなかった。先生だけじゃない、大人たちみんな。

 私は、合気道をやってみて、女子校に通っていたのに、こういった授業がなかったことに腹が立って仕方なかった。武道とか、それに代わるものをかじったこともない状態で、「気をつけろ」とだけ言われ、見知らぬ男がウヨウヨしている街中に男達が大好きな制服姿で放り出されていた。「どうして自分たちが、“狙われやすい性”であり、年齢なのか」という学問的なことすらも、教えてくれなかった。「『むかつく』けど『仕方ない』」がセットになったものとして、学校の中で「痴漢」は、「生理」と同じ扱いだった。先生たちが、生徒が痴漢に遭うことを「受け入れさせていた」と言ってもいいんじゃないだろうか。

 大人が積極的に「仕方ない」という態度を示して、直接的に被害に遭うのは子どもだ。子どもは、「これは仕方ないんだ」と思考停止したまま、被害を受ける年齢を過ぎ、忘れていく。そしてまた「私も昔、遭っていたの」と誰でも通る道、みたいな顔して語りつぐ。
 私はなぜ遭うのか、痴漢をするというのはどういう状態の人間なのか、遭った時の自分の気持ちについて、「しかたがない」「大したことじゃない」と流さずに、大人と一緒にちゃんと考えたりしたかった。「体に触られたりしますから気をつけましょう」とだけ言われ、受け入れるしかない状態に、子どもたちを置いておくのはおかしい。私はどうしても、子どもに対して「痴漢に遭うことは仕方がないことだ」とは教えたくない。

 「振り込め詐欺」の加害者は、世の中の「敵」だ。被害に遭わないように、警察も銀行も郵便局もテレビもラジオも老若男女が「おじいちゃんおばあちゃん、悪い奴にだまされないで!」と一致団結し、ポスターやパンフレットやCMを作って、みんなが“悪者”に対して怒りを向けている。「退治」や「撲滅」ができない代わりに、全力で「被害」を予防している。だけど痴漢の場合は、「被害者の問題」みたいなことになる。「露出した服でも着てたんだろ」的なことを言う人もいるし、「大したことじゃない」という空気が女性の間にあったりもする。「大したことじゃない」と思い込まされてるだけじゃないのだろうか? 「ギャーギャーとヒステリックに怒るなんてみっともない」という空気に飲まれてるだけじゃないだろうか? 「やめてほしい」「こわい」という気持ちをなんとなく心の中に封印するのが正しいような雰囲気を、先だって作っているのは大人なんじゃないだろうか? 子どもが恐い目に遭って、困ったような苦笑いをして「誰でもあることだからねえ、忘れなさい」と言うなんて、「隠蔽」なんじゃないだろうか? 「普通に電車に乗って学校へ通う」「帰り道を歩く」ということを脅かされるなんていう、お金を盗まれると同じくらい、理不尽でおかしすぎることを、ちゃんと「おかしい」と言うことすらできないなんて、やっぱりどう考えてもおかしいと思う。
 「女は体を触られて気持ちよくなる」という、確かにある事実も、痴漢問題にとっては邪魔だ。それとこれとは全く関係がないのに、どうしてもそれを「世の中全体」が理解しきっていない。「振り込め詐欺」に例えると、そういう報道を見た時、「これだけ騒いでるのに未だに騙されるジジババってアホなんじゃないのか?」と、ふと思ってしまうこともあるだろう。だけどそれを公の場で言うのはタブーだし、そもそも誰も言わないし、何がどうしようが「加害者が圧倒的に悪い」という価値観は揺るがない。
 しかし痴漢問題の場合は、「短いスカートでも履いてたんだろ?」という「被害者も悪いんじゃないのか」という価値観で、それ自体が包み込まれている。子どもが痴漢に遭う時に、その空気を毅然と消し去るのは大人にしかできない。なのに、ぜんぜんそういう空気になってない。そこで「怒る」のは、「ヒステリックな一部の女」として片付けられる。「怒る」ということすら揉み消されている。私はちゃんと、怒りたい。

 ずっとそう思ってたけど、「もしかして自分の考えが偏っているのか?」と少し思う時もあった。しかしアメリカのドラマ「glee」のあるシーンを見て考えを改めた。
 「glee」の主人公である女子高生たちが、目のところにアザを作ってきた女の先生のことを見て「夫からDV受けてるんじゃないの?」と冗談を言って笑う。それを耳にした別の女の先生が「私の親戚はDVでひどい目に遭ったんだ。だから私はそういう冗談を絶対に許さない」と言って、生徒達を厳しく叱り、反省させた。そして女の先生たちと女子生徒で集まり、「男からDVを受けることを冗談として流したり許したりは絶対にしない」と誓い合う、というシーンだった。私の学生時代、こういった風景がなかったのはなぜだろう? 不思議でならない。
 やっぱり大人がそういう「許さない」という空気を作ることがすごく重要だと思う。痴漢に関する話題になると「お前みたいな(オバサン、ブス)なんか触らねえよ」というギャグが必ず出てくる。そういうオバサン、ブスという対象になって笑われるのがイヤで黙ってしまう、という気持ちは私にもあった。でもこういったギャグこそ、「言ったほうが恥をかく」という空気に、大人がしていくべきだと思う。
 私は「glee」を見て、自分の経験から思った絶対に許せないことを、許さなくていいんだと思った。そして自分の思う「考え」を、馬鹿にされたとしても、次の世代に言おうと決めた。

 それにはまず、合気道を続けたいと思うのだが、道場に3人いる先生のうち、私に技を教えてくれる先生だけ胴着がピンク色だな、と思っていたら、それは胴着にまんべんなく生えたカビだと気づき、そこの道場はやめてしまった。現在、道場を探しているところだ。 

呪詛抜きダイエット

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 今年4月あたま、テレビに女優の遠野なぎこが出ていた。母親との確執を書いた自伝を出版するとのことで、「母親を大嫌いとは言い切れない」とその複雑な思いを語っていた。
「でも、私は母のせいで摂食障害になった。これはもう一生治らない障害だと精神科の先生からも言われている。このことだけは母を絶対に許さない」
 怒りを最大限に押し殺して、遠野なぎこの声は震えていた。一生懸命、力を振り絞って言っている、という感じが伝わってきた。
 私は、ハッとした。私も3年前に摂食障害と診断されたんだった。今現在だって完全にその症状が出てるのに、なぜだかすっかり忘れていた。遠野なぎこの著書を読むと、彼女の摂食障害は今のところおさまっているようだが、彼女の場合は過食嘔吐といって、たくさん食べたあとに吐くというもの。私は吐かないタイプの過食症だ。

 私の過食症の症状がかなりひどくなったのは6年前の28歳あたりの頃。家に常に大量のお菓子やパンがないと不安で、仕事帰りに必ずコンビニでお菓子などをバカ買いし、できなかった時はわざわざ深夜に買いに行った。それでも「1日の食費1万円!」とかおどろおどろしくテレビで紹介されている“過食症”の症状であるとは自覚していなかった。
 だから精神科クリニックで「過食症ですね」とあっさり言われた時、ホッとした。「『私は過食症ではない』と思い込む病気」が一瞬で治った、という爽快感があった。
 クリニックでは過食症状をおさえる効き目のあるSSRIという抗うつ剤を処方された。他の気分的な症状はとても改善したが、過食症については劇的に効いたという記憶はないまま、妊娠したので飲むのをやめた。

 そして子どもを生んでからの1年間、私は過食症状が出っぱなしだった。育児と仕事で生活が急に忙しくなったのもあって、コンビニで大量の食べ物を買わないと落ち着かない、という“症状”が爆発的に出ていた。特にひどく貪り食っていたのは、たけのこの里とコカ・コーラ。そしてコンビニの骨なしチキンに、茶葉の味が一切しない紙パックのミルクティー。昼間は赤ちゃんを見て、夜中に仕事をしながらたけのこの里を2〜3箱いって、コカ・コーラも500ミリリットルのペットボトルが冷蔵庫に何本も入ってないと落ち着かなく、多いときで1日2リットルくらい飲むようになってしまっていた。やばいと思い、去年の夏に断食道場へ1泊してみたこともあったが、最初の1週間くらいで即、たけのこの里地獄に舞い戻った。
 たけのこの里やコーラはあくまで間食、夜食であり、家族と一緒に食べる料理は、あぶらギトギトの中華料理しか作らなかった。煮物とかあっさりした料理はぜんぜん食べたくない。毎日毎日、あぶらギトギトのおかずを白いご飯にのせてたくさん食べた。
 自分でもやばいと思うのに、それしか食べられない。惰性とか意志が弱いとかじゃなくて、何かがとりついた様に食べてしまうというほうが近い。気持ちも体もブヨブヨしていて、悲しみが大きすぎて運動なんてできる状態じゃない。本当にどうしたらいいか分からなかった。ここから抜け出す何か、とっかかりが欲しかった。

 そんな時、摂食障害であることを告白する遠野なぎこをテレビで見て、「そういえば、私も『過食症』なんだった」と思い出した。そして、「私が摂食障害になったのは、母のせい」とはっきり言う彼女を見て、私も、自分の過食症の原因がなんなのか、知りたい! 知るところから始めてみよう! と思った。

 私は、催眠療法が好きで、それによる効果をかなり信じている。ヒプノセラピーで前世を見に行って、自分の恋愛観に納得したり、精神科の催眠療法を受けて理不尽な思いを抱えたままの子どもの頃の自分に会って励ましあって和解したりした。「排水溝にコレがつまってたから流れが悪かったんだ」というのと同じ感じの謎解明や納得やスッキリ、を感じられると私は思う。催眠療法で「過食症になった原因」を探ることにした。以前、別のことを催眠で探って、うまくいったことがあったからだ。

 私は、役所の手続きとか、確定申告とか、公式の書類を書いたり提出したり、あと家計簿をつけたり、役所の窓口で職員と話して手続きしたりすることがものすごく苦手で、やってるとハラハラドキドキし、全身から汗が吹き出てしまってマトモにできない。苦手なので見たくもないから書類など普段は放置してるので、やらなきゃいけない時になると書類がなくなってたり、前にも書いたのに書き方がサッパリわからなかったり、それでさらに気持ちがパニック状態になってしまい、「こんな自分は生きるに値しない」という絶望に行き着いて、急速に死にたくなってくる。マジで「死んだほうがいい」っていう気持ちになる。単純に不得意なだけだと思ってたけど、去年、汗だくで「死んだほうがいい」と思いながら書類の記入を何時間もやっている時、これは病的だと自覚した。なぜこんなことになっているのか。私は催眠療法を受けて、催眠状態の感じがなんとなく分かるので、自分で軽くなってみて、過去を探ってみることにした。

 目を閉じて催眠状態になり、「私の書類手続きが苦手な原因がわかる地点へ行きたい」と念じた。高校3年生の時の光景が出てきた。私は美大予備校に通っていて、東京芸大を受ける予定だった。芸大はセンター試験を受けなきゃいけない。センター試験の申し込みは学校でまとめてやることになってた。申込用紙を受け取る期日と、出す期日が分かれていて、私はすっかり忘れていて、受け取る期日が過ぎてしまっていた。センター試験申し込みの担当の先生が、昔の担任で私の中ではかなり好きな先生だったから、「申込用紙をください」と言いに行った。私は先生が「おう! まだ申し込みには間に合うから、用紙やるよ、書け書け!」と言ってくれると思い込んでいた。だけど先生は目を細め、「超軽蔑」って感じの目をして私を見て、「はあ? なんなんだお前は今頃」「お前が取りに来るの遅れたんだろう。遅れたけど書類出させてくれなんて、そんなことが通るわけないだろう」と、ものすごく冷たく「もうダメだよ。お前はセンター受けれない。当然だろ」と言い、申込用紙をくれなかった。家に帰って号泣した。結局は、用紙をくれてセンターも受けれた。あの時の光景が出てきた。
 
 私は、あの時の先生の冷たい態度が原因で、書類手続き恐怖症になってたんだって気づいた。「優しくて好きだった先生が急に冷たくなったこと」と「冷たくさせてしまった自分」が「書類、手続き」に直結していて、大人になっても書類や手続きに関することをやる時になると、あの時の恐怖がバーっと出てきてるんだ、と分かった。先生の態度が「お前、生きてる価値なし」みたいな感じだったから、「書類手続き苦手な自分=死ぬしかない」という方程式が体に埋まってるんだ。

 大人になった私の目線で、あの時のことを考えてみた。
 あの時の先生は、ちょっとひどかった。私のだらしなさにのっかって、ちょっとやりすぎだったと思う。「おう、内緒で用紙やるよ」って言ってくれてもよかったし、「だめだよ」って普通に言えばいいのに、あの時の先生はひどかった。私も、期日を忘れてたのはだめだったけど、別にそれは「死ななきゃいけないこと」じゃない。つうか、「死ななきゃいけないこと」なんてない。 

 と、思ってみた。そしたら、急にすっごいラクに書類や手続きができるようになった。本当に見違えるほど、むしろ家計簿が大好きになってしまった。本当にビックリした。
 そういうことがあったから、過食症の原因も催眠療法で知れるのではないか、と思ったのです。

 そしてこのあと私は催眠療法を受けて、「呪詛抜きダイエット」への一歩を踏み出すことになる。

〔次回に続きます〕

※呪詛抜きダイエットに関しては、経過をこの「女印良品」でリアルタイムで書いていきたいと思います。


“お母ちゃん”から見たAKB48<前編>

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 秋葉原にあるAKB劇場へ、AKB48のライブを見に行った。
 
 11年前、23歳の私が働いていたバイト先に、モーヲタ(モーニング娘。オタク)のAさんがいた。当時、モーニング娘。は全盛期だった。顔も体格も朝青龍に似ていて当時28歳くらいだったAさんは、必死にモーヲタであることを隠していた。だが、彼はモー娘。の新作CDが出れば50枚くらい買ったり、コンサ(コンサートのこと)のチケットも10枚くらい買ってその中から一番いい席をチョイスして見たり、ゴマキ(後藤真希)の母親が経営する小料理屋に通ったり、そのモーヲタぶりはハンパではなく、モーヲタの中でも幹部クラスのようだった。私もゴマキの実家の小料理屋に連れて行ってもらったことがあった。小さいお店には、モーヲタが溢れ返り騒然としている。みんな高揚しているものの、食べ終わった皿やコップをカウンターまで運んだり、ゴマキの母や姉に対してものすごく礼儀正しかった。カウンターに入って洗い物を手伝ってる人までいた。Aさんのモーヲタ仲間の、筋肉をなくした寺門ジモンみたいな男性が、左手を添えながら焼き鳥をちょっとずつ食べていたのが印象的だった。そこにいるだけで、彼らのモーニング娘。への純粋な思いをビシビシ感じ、ここはモーヲタの聖地なんだ、私なんかが軽い気持ちで来てはいけないところなんだ、と、彼らが優しく迎えてくれたことに申し訳ない気持ちになった。

 あの頃、モーヲタの世間に対しての「恥じらい」はすごかった。「好きなら好きって言えばいいのに」と周りが思うくらい、「アイドルが好きなんて一般社会では言っちゃいけない」という意識を持っていることを感じさせた。ファンサイトには「苦手な方は当サイトへのアクセスをご遠慮ください」と断り書きがあった。国民応援ソングのような曲をヒットさせていたモーニング娘。は、あくまでも国民的アイドルで、それを熱烈に好きな人がヲタクだった。例えて言うなら、お母ちゃんから「ほら、あんたが買ってきたアイドルの下敷きが居間に落ちてたよ。この子可愛いねえ。好きなんでしょ?」と言われ、真っ赤な顔して無言で下敷きをひったくり、駆け込んだ自分の部屋の中で下敷きをギュッと抱きしめる息子…、そんな印象がモーヲタにはあった。

 あの頃のモーヲタに比べると、今のAKB48のファンは、なんか怖い。私自身の年齢が34歳になったこととか、インターネットが普及しまくったこと、私の周りにAKBファンがいないからメディア越しでしかその印象が分からないことも大いに影響していると思うが、明らかにあの頃のモーヲタよりも、AKBファンは凶暴だと感じる。
 先ほどの「居間の下敷き」に例えると、AKBファンは、居間だろうが玄関だろうが下敷きやグッズを散らばらせ、お母ちゃんが「なんなのこれ…いやだわ。片付けてよ」と言うと「そういうアンチな意見もやすす(秋元康)の想定の範囲内ですから」と謎の言葉を残し、居間でインターネットを見続ける、そういう感じがする。
 「ファンじゃない人」は何も言わせてもらえない。「どこがいいのか分からない」等と言えば「アンチな意見を持った時点で、秋元康の思う壺。あなたはこの勝負に負けたってことなんですよ(笑)」と一方的に言われる形で終了させられる。
 アイドルオタクは“秋元康”という人物に、「批判されたら『アンチ意見もAKB商法の想定内』と言えばよい」という印籠フレーズを与えられたことで、余計なことを考えずにAKBに没頭できる環境を得た、というふうにしか見えなかった。周りにどう思われるか気にしたり、恥ずかしがっている姿ではなく、「銀河鉄道999」の車掌さんみたい目だけが光っている顔をしているように見える。
 つんく♂は、「モーニング娘。に女子高生の制服を着せない」という決まりを持ってプロデュースしていた。「そのまますぎるから。それをやるのは反則だから」という理由だった。だけど、秋元康はおもいっきり制服を着せた。水着姿や下着姿でも歌わせる。その違いが、ファンの性質にも大きく影響してる。反則技を解禁したことで、ファンじゃない人への反則技もありになってしまっている。私はそう感じていた。

 そして今年2月の峯岸みなみの坊主謝罪。居間に下敷きを散らかしている息子の部屋の押入れの中に、恐ろしすぎるものを見つけてしまった、そういう感覚だった。違和感は感じていたのに、放っておいたらこんなことになっていた。びっくりして取り乱すお母ちゃんのような心境に私はなった。ネット上でも“お母ちゃん”たちがその衝撃を次々に口にした。
 だけど、当の“息子”たちは平然としていた。「そういうルールだと了解した上でAKBにいるんだから、当然でしょう」としか言わない彼ら。押入れの中の女の子の悲惨な姿を目の前にしても、表情を一切変えない。何を考えているのか分からなくて猛烈に怖い。
 自分の好きなものが社会にどんな影響を与えているのか、ファンじゃないけど毎日のようにテレビで峯岸みなみを見て芸能人として認知していた人たちがどれほどショックを受けているか、それについて考えることもしない姿勢に、心底驚愕した。そうじゃないファンももちろんいたけれど、あまりにも“息子”が多かった。

 私は「秋元康の思う壺」という印籠フレーズをふりきり、AKBについて知ろうと思った。彼らが熱中している理由を、私にも知る権利がある。関連書籍を買って読み、ドキュメント映画を借りて観て、そして今まではファンに絡まれて面倒だから避けていた、AKBについて思ったことを書いたり言ったりすることも自分に解禁した。ファンじゃない人からは賛同する意見を聞くことができた。でも“ファン”からは「現場を見てないのにそんなこと言っても話になりません。現場を見てください」と言われる。AKBなんて毎日誰かしらテレビに出てるのに、「テレビ」がAKBの「現場」じゃなくて一体なんなんだろう。「現場を見てください」は、第2の印籠フレーズなのだった。
 “お母ちゃん”からみると、制服で踊るのもパンツが見えるのも、メンバーがやたらたくさんいて人気投票をするのも、そして順位をつけられて謎の演説と号泣をする様子がテレビで放映されるのも、恋愛禁止なのも全部、「性的搾取」にしか思えなかった。AKBを表現するのに「性的搾取」という言葉ほどしっくりくるものはない、と坊主騒動の時はっきり思った。私は、「現場」に行ってみたいと思うようになった。「性的搾取」の現場をこの目で見たい。

 秋葉原のAKB劇場の客席には、電車の座席みたいな一人分のスペースが分かるように色がついている長い椅子が置かれていて、隣の人とピッタリくっついて座る。お客さんは単独で来ている男性がほとんどだが、3割近くは女性だった。
 舞台の高さは数十センチしかなく、最前列から舞台までの距離がものすごく近い。それに対して舞台の横幅は、首を左右にめいっぱい曲げないと全体を見渡せないほど異様に長い。前髪を立ててブローされたヘアスタイルの「THE支配人」って感じのスタッフのおじさんが「サイリウムは自分の頭より上に上げないでください」と最前列の人に静かに言う。後ろの客が見えなくなることへの配慮、その一言を聞いただけで、後ろの列にいる私も、さらに後ろにいる人たちへ迷惑をかけてはならない、と思わされる。
 綾小路きみまろのライブでも、DA PUMPのライブでも、開演前にこんなに客がみんな、ビシーッと背をのばして座っているなんて見たことがない。坊主謝罪の時、「ルールですから」とファンが盛んに言っていた理由はこういうところにもあるのだろう。客のほうもいろいろなルールを守っている。
  
 公演が始まると、16人のAKB48のメンバーが舞台上に現れた。その光景が凄かった。舞台が低いので、目の前に超ミニスカートから飛び出る太ももがズラリと並ぶ。そのまま舞台がグーッとせり上がり、客席からパンツが見えるくらいの角度にまでなる。メンバーたちはストッキング等、何も履いてないので膝小僧の古傷や角質、アザまで見える。顔も脇の下も吹き出物もばっちり見える。一切、何も隠しようがない距離で、メンバーたちは激しいダンスを踊り始めた。目の前でブルンブルン揺れる太ももたち、バサンバサン飛び上がるミニスカート。中は布がいっぱいあってパンツは見えないが、入れ替わり立ち代わり歌って踊りまくり、どこに目を落ち着けていいか分からない。迫力に圧倒され、「ああ…」とか「うう…」とか口からうめき声がもれてしまう。そんな中、みんなサイリウムはちゃんと顔の横までしか上げず、背筋をのばしてみている。ビカビカ光るかなり安っぽい色の照明、爆音で音楽が流れ、前髪を立てた支配人、目の前の生足、雰囲気は取材で行ったストリップ劇場に近かった。テレビで見たことあったから分かってはいたけど、高級感は一切ない。

 3曲ほど一気に終わって、ハアハアと肩で息をしながら16人が自己紹介を始めた。痩せている子は新陳代謝が激しいから汗があごから落ち続けていて、太めの子はぜんぜん汗をかいてないとか、全部見える。16人中、テレビでよく見る大島優子、秋元才加と板野友美以外は、私は知らなくて、初めて見る女の子だった。
 「今、自分磨きのためにしていること」を一人ずつ言っていたのだが、「私はレポーターになりたいので」とか「スポーツ番組に出れる人になりたいので」とか、「本当の夢」みたいのを語っている。昔、スポーツ新聞の風俗嬢を紹介する記事を書いていた時、風俗嬢はみんな「留学するための資金を貯めてる」とか「看護師になりたいから勉強してる」とか言ってた。なんか、それと同じ感じがして、私の中の「AKBって風俗っぽい」という印象が一気に噴きあがった。

 だけど、この自己紹介から『面白さ』もだんだん『分かって』きた。鈴木紫帆里という飛びぬけて背が高いメンバーがいて、「私は背が高くて小回りが利かないんですね。だから他の子より1秒速く動かないと遅れてしまって、一人だけドン臭く見えしまうんです。だから筋トレをがんばっています」と言っていた。
 そのあとの曲で、鈴木さんを見ると確かになんだかドン臭く見えた。でもそれを本人が分かっているということは知っているので、「がんばれ」と思ってしまう。横にいる別のメンバーと比較もできるので、その違いが分かりやすい。「もっと速く走ればいいんだよ」とか「ここはこうすればいいんだよ」とかアドバイスめいたものが頭に浮かんでしまう。私はあの時まさに、アイドルプロデューサー秋元康になっていた。
 AKBは握手会があって本人に話したりできるので、その思いついたアドバイスを本人に直接伝えることもできる。さらに1回握手できるチケットを何枚も買って、何回も列に並べば、1日の握手会で、買った分だけ本人と話すことができる。そして選抜総選挙で投票すれば、そのメンバーと一体化することができる。
 “お母ちゃん”からすると、なんの説明もなしに急にテレビで「選抜総選挙」とかやり出して、女の子が泣いたり絶叫したり、まったく意味が分からない。楽しんでいる人たちが、どこがどう面白いと思ってるのかも分からないまま、突然やっている。でも出ている女の子達が語っているのは「夢」みたいなものだから、「くだらないバラエティ」と判定も下しにくい。AKB好きのお笑い芸人が総選挙を見て泣いたりわめいたりしている番組を見て、吐き気がしたことを思い出した。
 だけど、鈴木紫帆里を見て、そのシステムの『面白さ』がなんとなく分かった。分かったどころか、今度の6月の総選挙で鈴木紫帆里が何位に入るか必ず見よう、と思った。

 そしてこのあと、大島優子の凄さに圧倒されるのだが、次回に続きます。 
 


呪詛抜きダイエット2

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<2013年5月14日の「呪詛抜きダイエット」からのつづき>

 私は、自分が長年抱えている問題(過食症)を本格的に治療しようと思った。まずは「自分がたくさん食べてしまう原因」を催眠セラピーでみてもらうことにした。
 初めて行ったそのセラピールームは「禁煙できる」とか「高いところが怖くなくなる」とかの“暗示”を入れる催眠セラピーをするところだった。
 「過去にさかのぼったりして、自分が過食してしまうの根本の原因が知りたいのですが」とセラピストに言うと、「トラウマを見るのは苦しくて危険だから、私と親睦を深めたあとでしかできません」と断られた。
 しかし「『甘いものが嫌いになる』という暗示を入れると、本当に一切の甘いものが食べられなってしまいますよ。いいですか?」と言う。さらに「1度で効果が出る人は何千人いて2〜3人で、ほとんどの人が1度では暗示にかかりません。何度か通っていただく必要があります」とか言われ、なんだか自分がやりたかったのと随分違ってきてしまい、面倒くさくなってきたので、提案された「『揚げ物のにおいを嗅ぐと吐き気がする。その代わり野菜が好きになる』という暗示」を入れてもらうことにした。
 私は催眠にかかりやすいほうだが、こんな暗示が効くとは思えなかった。7000円も損したなーって思った。

 帰り道、ラーメン屋の前を通ったらそのにおいで吐き気がして、めちゃくちゃサラダが食べたくなってサラダのことしか考えられなくなり、駆け足でファミレスに飛び込みサラダを注文した。
 それから毎日サラダというかレタスを食べないと落ち着かなくなってしまった。セラピストが「あなたの前に、レタスがあります。美味しそうなレタスで〜す…」「みずみずしいレタスが、とっても美味しそうに思えま〜す…」と、なぜかレタスのことばかり言っていたからだと思う。そしてその日ちょうどマツコ・デラックスがテレビで「練り物が好き」と言ってパクパク練り物を食べているのを見たのだが、レタス同様「練り物」がインプットされたのか、まったく好きじゃない「練り物」を食べ続けた。

 その数日後、知人の結婚式に参列したのだが、自分の太りきってしまった姿がみじめでみじめで、二の腕を出さなきゃいけないドレスを着るのが心底苦痛だった。
 こういう時の私には、みんなの前で「ずいぶん太りましたね」と言ってくる、私を「みじめ」の底に叩き落す人物が登場する。その結婚式でも「太ったね」と誰かに言われるのが怖くて内心ビクビクしていたのだが、見事に言われた。

 かなりショックで顔が引きつってしまった。でも「太っている」と自分で分かってて、「太ってますね」と言われて、ショックを受けるってなんか変だと思った。だったら太らなければいいのに、どうして私はわざわざ毎日、多すぎる食事を摂って太っているんだろう?  むしろ、私の核の部分は、「晴れの席で「『みじめ』な気持ちになること」を望んでいるんじゃないか? と思った。そう考えるほうがしっくりきた。

 セラピストは私の話を聞いて、「単なる悪い食習慣が身についてるだけ」と言っていた。そうなのだろうか? 何かがとりついた様に食べちゃうんだけど…。「おかずをつい食べ過ぎる」とかそういうんじゃなくて、わざわざ太る食べ物(菓子パン、惣菜パン、餃子、ハンバーガー、エクレア、等等等)を買ってきて食べる。食べてる時は、「太るからやばい」とか「これ以上はやばい」とかそういう感じがぜんぜんない。「社会」みたいなところからまったく別の次元に行ってしまう。だからコントロールなんてしようがない。むしろ「今日はこれだけ食べてやろう」っていう“前向きさ”すらあるように思う。 なのに自分の「太った体型」はまったく許容できない。「太っててもいいじゃない」って思おうとしたけど、ぜんぜん思えない。自分の体は、本来の自分よりも「太りすぎだ」ってすごくよく分かる。なのに、積極的に太ってしまう。 何か、私の中に「目的」があって食べてるとしか思えない。太る食べ物を選んで、大量に食べなければいけない「理由」があるんだと思う。その行為が「必要」なんだと思う。私はやっぱりどうしても、自分がどうして「太る食べ物を食べまくってしまうのか」が知りたいと思った。 数年前から通ってる催眠療法の先生のところに行って、それが正しいか見てもらおうと思ったけど、待てなくて、とりあえず自分で催眠状態になって、自分の心に聞いてみた。 

 布団に横になったまま目を閉じ、「私が『食べなければならない』と思い込むようになった出来事の地点に連れてってください」と念じた。

 小学校の頃、不機嫌な顔をして集合写真に写っている自分の写真が頭に浮かんだ。私は着たくない服を着せられていて、不機嫌だった。上下緑色の服が写真に写らないように手で隠している。私の母は、男の子がスポーツの時に履くゴツイ靴とか、パジャマとして売られている服を私に着せて、遠足に送り出していた。そういう格好で、学校行事に参加するのは本当に本当にみじめで、つらかった。
 あの時の気持ちと、こないだの結婚式の時の気持ちが、まったく同じものだ、と気づいた。その場は「楽しい」んだけど、「自分の姿はみんなに見えないといいのに」って思ってる。

 私は、あの時の気持ちを、大人になっても再現してるんだ。と思った。大人になったら自分の好きな服を着れるけど、「着れない」ようにするには「太って似合わないようになる」というのが手っ取り早いから、私は太ってるんだ、と思った。そうとしか思えなかった。“とりついていた”のは、昔の私かな?
 小学校の頃、「こういう服は着たくない」と訴えても、母は“普通の服”や“私のお気に入りの服”は絶対に買ってくれなかった。私がイヤだイヤだと言ってすねると、母の友人等の大人たちに「イヤだって言うのよ、変でしょ」と笑って話す。他の大人は「変じゃないよ? かわいいよ?」と私を慰めた。
 しかしあれは、私のことじゃなくて、私の母を慰めていたんだ、と思った。私は「反発する自分がおかしい」と思わなきゃならなかった。「こんなことで、みじめな気持ちになること自体がおかしいんだ」と自分に言い聞かせたり、「みじめだ、ということを誰かに言っても分かってもらえない」という状態を一人で受け入れることをかなり頑張っていたんだと気付いた。そして大人になっても、その思いにずっと縛られてたんだと分かった。

 私は目をつぶったまま、頭の中で、不機嫌な顔をして遠足に参加している小学校4年生の私にかけより、「ひどいよね、着たい服着たいよね。着たい服じゃなくても、変じゃない服がいいよね。大人になったら、着れるよ。着ようね」と、当時の大人たちに言ってもらいたかったせりふを一生懸命言ってみた。 言ってるうちに、母は本当にひどい、と思った。 イヤな格好をさせて外を歩かせたり、「イヤだ」というのを聞き入れずに、何年間もそうやってイヤな格好をさせ続けるって、裸で歩かせるのと何が違うんだろうか。それは「いじめ」ってことでいいんじゃないか? と思った。 裸だったら他の人が通報してくれるけど、「大人からはイヤさ、変さがよく分からない微妙にイヤな子供服を着せる。お金がない等仕方ない事情があるわけでもなく、本人がイヤがってると分かった上でそれしか着るものがない環境を無闇につくる」って、本当に意地悪だと思うし、それが「いじめ」じゃなくて、一体なんなのだろう?

 私は、母から「いじめ」られてたんだ、と認めてみようと思った。

 涙がいっぱい出てきて、

 泣いた。

 泣いてみたら、私の「食べて太る行為」は、「母に私はいじめられてたわけじゃなかった」ということを証明する、という意味を持っているのではないだろうか? と思えてきた。
 「私はいつも、みじめなんだ」「母が選んだ服を着ていなくても、みじめな人間なんだ」「大人になっても、ほら、みじめでしょ」って思うために、太ってた。母にいじめられたから「みじめ」なんじゃない。母がやってたことは「いじめ」じゃなくて、私がもともと、「みじめ」な人だから、私は「みじめ」だったんだ、って思いたくて、太る食べ物をたくさん買ってきて食べてたんだ。太ることで、母を必死に肯定してたんだ。
 そうとしか思えない。

 母がどう思ってたかは関係がない。私はイヤだった。でもそれをずっと封印させれられて、結局、もう絶縁して会ってもいないのに、それでも母を肯定するために、知人の結婚式でみじめな気持ちになる。なんだこれ?

 私には、太らなきゃいけない理由なんて、もうなかったんだな〜と思った。

 大人になって振り返ってみると、子供の私には、ほとんど大人の味方がいなかったなと思う。
 一度、本当に小学校でつらいことがあって、ものすごく落ち込んだことがあった。担任の先生がとにかくイジワルな人で、毎日イヤミを言われていたのだが、その日のイヤミは飛びぬけて私を落ち込ませた。それに気づいた家庭教師が「どうしたの?」と気づいてくれて、話してるうちに号泣したことがあった。
 家庭教師は東大生の22歳くらいの男の人だったけど、私の話を聞いて「僕も先生からこんなひどい目に遭って悲しかったことがあったよ」って、話してくれた。そのうちに家庭教師も泣き出して、2人でしばらくおんおんと泣いた。
 ああやって、大人が一緒に“吐き出し”に付き合ってくれると、その時はそのリアルなつらさがすぐには消えなくても、あとあと残らないと思う。何をされたか、もだけど、「気持ちを分かってもらえなかった」というほうの傷も、実は深く残るんじゃないかと思う。

 「いじめ」と「みじめ」の関係に気づいてから、ストンと喉が通った感覚があった。そういえば、「母と表面上仲がよい」時期や「母を極端に拒否、否定する時期」に限って、過食癖が進行してたような気もした。

 「太ってみじめな思いをする」ということは、私にとっては自分の自尊心を保つ方法の一つであり、生きていくために重要なことだったんだと思った。私の中で、「母のことが好き」なのと「自分が太ること」はセットになっちゃってるのかもしれない。でも、太って自分がみじめな思いしないと「好き」と思えないなんて、それは「好き」じゃないよねえ。
 明らかに、体と頭の何かが変わった気がした。

 そして次の朝、ものすごい吐き気で起きた。同時に下痢が始まり、すごい勢いで胃腸が何かを吐き出してる感じがした。熱が出てないのにフラフラして、そして全身が冷えてきて、「梅醤番茶」が猛烈に飲みたくて、お風呂に入りたくなった。飲みながら半身浴をして汗を出しまくったら、気持ち悪さがかなりよくなった。
 私はここ1年、ずーーーっと、つめたーーーい飲み物を飲んでた。キンキンに冷えたものをガブガブ飲んでいた。胃や腸に、相当な負担がかかってたと思う。自傷の一種だった、と思うことにした。それが、「すべての原因」に触れた途端、一気に「私たち、つらい!!」って胃と腸が叫び出した。

〔次回に続きます〕
※呪詛抜きダイエットに関しては、経過をこの「女印良品」でリアルタイムで書いていきたいと思います。

“お母ちゃん”から見たAKB48<後編>

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〔2013年5月31日の<前編>からの続きです〕
 
 曲が始まり、踊り出すと、16人いる女の子の中で、とにかく大島優子を見てしまう。
 大島優子は表情の多さがハンパじゃない。大島優子の表情の数は、普通の人間の5億倍くらいある。単純に、顔の筋肉が普通の人間よりも細かく動く人なのかもしれないが、それだけではない、細胞レベルでの違いがあるように思えた。だから「大島優子を見ないと損」という感覚が自然と脳に働き、他の子を見ようとしても、自然と大島優子に視線を引っ張られてしまう。
 他のメンバーたちもダンスがうまく、一生懸命だ。だけど大島優子に比べると、表情が堅く見える。言い方はよくないかもしれないけど、甘みやうまみや風味が豊かな高級な豆腐と、1丁80円で売ってるスーパーの固い豆腐の違いみたいな感じだ。板野友美は顔の完成度が高いし、秋元才加の表情の作りもかなり豊富だが、大島優子の表情筋の柔軟さは異次元に超過しているレベルだ。
 大島優子を見てしまうのは一体なんなのか、私は必死に考えていた。考えよう、としないと、爆音と目まぐるしいダンスと女の子が入れ替わり立ち代わる舞台展開に圧倒され、思考が停止してしまう。
 
 ある曲中に、舞台の背景の壁が、からくり扉のように反転した。壁の裏が鏡になっているので、踊っているメンバーの後ろ姿を見れるという演出だ。ステージを観ている客席までもがその鏡に映る。私は観客達の顔を見ようと目をこらした。生の太ももにニタニタと笑みを漏らして見ているに違いない。しかし、スケベな顔をして観ている人は一人もいなかった。電車の座席のようなイスに肩を寄せ合って座り、“圧倒され放心している顔”で舞台を見ている男たち(女の人はほんの数人)。イヤらしい顔をしているよりも、ちょっと異様だった。
 だって普通、コンサートって、ライブって、熱狂するモンじゃないだろうか? DA PUMPのライブに行った時のこと。観客の女たちはボーカルのISSAがウインクしたり、腰を前後に振ったり、投げキッスをすれば、その度にライブ会場の建物全体が揺れるほどに歓喜の叫び声をあげる。それは、ISSAというセックスシンボルを使って、女たちが欲望を爆発させている光景だった。
 
 ライブは、ミュージシャンと観客のSEXだ。ISSAを見て女の観客はエクスタシーに浸っていたし、スパルタローカルズというバンドを見に行った時はボーカルが声を出す度に会場にいる300人の客たちが前後に揺れ喘ぎ、見事なピストン運動になっていた。金髪豚野郎騒動で世間をドン引きさせた泰葉は、一生懸命歌唱するあまり、一方的な潮吹きショーを見せるようなステージを披露し、客席を「もういいから…」というような空気にしていたこともあった。 
 だから私は、AKBのファンは偉そうに、ふんぞり返って笑みを浮かべて、プロデューサー気取りな顔で、AKBのライブを見るんだと思っていた。それはSEXではなく、女子高生がおやじと援交するみたいな関係。「頭の悪い女子高生だなあ」と思いながら女子高生のディティールに興奮するブルセラおやじと、「おやじキモイ」と言いながら、内なる恐怖心を隠し漠然とした物欲のために下着を売る女子校生、そういった互いがバカにし合っている感じが根底にあるんだと思っていた。それが、“お母ちゃん”からするとキモくてキモくて、そういうものが根底にある文化のようなものがテレビからしょっちゅう流れてるのがイヤだし一体もうなんなの、あんたたちいい加減にして。そういう心持ちだった。

 だけど、実際のAKBファンは、AKBの女の子たちに“食われている”顔をしていた。後ろのほうで合いの手を入れているベテランファンみたいな人たちの声は聞こえるけど、観客の見方は基本的に受身だった。
 ブルセラ女子高生とおやじではなく、されるがままの童貞男と寛大な手ほどきをする風俗嬢という関係のほうが近かった。というか、そのものだった。

 ちゃんと曲を聞こうとしても、男になった自分が風俗店に行って、大島優子を指名している風景がなぜか脳裏に浮かんでくる。本当に不思議だが、どうしてもどうしても浮かんでしまう。

 大島優子以外のメンバーたちも、確かにうまい。プロ意識がなきゃできないだろうし、本当にがんばっているんだろうな、と思う。だけど、大島優子は、どんなにひどめの包茎だろうが、短小だろうが、「ああ、そういうの見たことあるよ〜。ダイジョブだよ」とサラッと言ってくれそうな安心感がある。つまんない話でも「そうなんだ〜」って、重すぎず軽すぎない、本当に適度な相槌を心地よく打ってくれそうな気がする。「ああ、俺しゃべりすぎだなあ」と思いながらも大島優子を前にすると趣味の話などが止まらなくなるはずだ。だけどイエスマンってわけじゃなく、変なことは「それはこうしたらいいよ」とかイイ感じに教えてくれたりしそう。すごく楽しくて心地よくて、すっかり時間を忘れてしまうんだけど、その間も大島優子はちゃんと時計を見ていてくれて、そつなく俺に服を着せて時間ピッタリにいい気持ちで部屋の外に出してくれる。大島優子を指名した帰りはいつも頬が痛い。笑顔でしゃべりすぎるからだ。
 そんな大島優子の貫禄に比べると、他の女の子たちは、どこかしらに「普通の女の子」感があって、こわい。自分のコンプレックスな部分を見せたときに「ひいてる感じ」が伝わってきたり、つまんない話にはつまんなそうな態度を隠し切れなかったり、不機嫌な日があったりしそう。
 だけど大島優子は、いつでも安定したサービスをしてくれそうだ。そんな彼女がこのお店のナンバーワンなのは当たり前。いろんな男に指名されてるのは知ってるけど、きっと彼女は、誰に対しても一定の態度をするし、俺が指名した時に、いつも通りでいてくれれば何も問題はない。
 だけど、もし、大島優子が誰か特定の恋人をつくって、失恋したりして、元気がなくなったり、取り乱したりしたら、それは絶対に耐えられない。そんな姿を、俺に見せることが許せない。一度そういう大島優子を見てしまったら、もう無理だ。俺の憩いの場はもうなくなってしまう。どうしてくれるんだ… だからできれば恋人なんて作らないで欲しい。
 
 と、私の中に童貞男の人格が生まれ、勝手に脳内でしゃべり出した。
 童貞男は、「いつでも同じでいて欲しい」「俺が安心したい」という気持ちが強かった。恋愛しない、動じない、不安を癒してくれて、いつでも励ましてくれる。そんな「優しいおばあちゃん」みたいなものを求めている。身体はぴちぴちだけど、内面は「優しいおばあちゃん」でいて欲しい。そんな欲求を、大島優子は満たしている。(ライブは有名な歌はほとんど歌わず、爆音なので歌詞も聞き取れない。つまり歌詞の力ではなく、踊りとMCでちょっと喋るだけで、“お母ちゃん”目線でやってきた女に童貞男の視点を見せ、それを感じさせる大島優子は本当にすごい。)

 さらに大島優子のパフォーマンスは、私にK君のことを思い出せた。
 K君は私の学生時代の友人で、卒業してから5年間、メル友だった。私から送ることはないが、K君からは長文のポエムみたいな日記が送られてきたり、たまに電話もかかってきた。たいていはK君が仕事の愚痴を吐いたり世を憂いたり、自分がいかにダメな奴かを語る。K君の口癖は「俺は会社にスポイルされている」だった。とにかくスポイルスポイル言っていた。
 私は不思議とK君が言って欲しいことが分かり、「そんなことないよ、K君はがんばってると思うよ?」とか、自分の経験談も交えつつ「自分をねぎらってあげなきゃだめ!」と強めに言うこともあった。K君の声はかけてきた瞬間は暗かったのが、最後は決まって安堵のボイスになる。私と電話して元気になった感じがありありと伝わってくる。お互いに恋愛感情というのがまったくないのにメールや電話が何年も途切れず続いたのは、私のほうにもそれなりの達成感があったのかもしれないと思う。
 K君とはリアルの友人のはずなのに電話やメールでだけ親密になるのも妙な気がしたので、私は「みんなで今度会おうね」とよく言った。だけどK君は頑なに聞こえないふりをするので、会うことはなかった。

 その時、私は25歳だったと思う。仕事で猛烈に嫌なことがあったので、K君の真似をして、どれだけ嫌な目に遭い、のた打ち回るほど苦しく、そんな自分がいかにダメな奴かという長文の自戒の叫びをメールで送りつけた。
 励ましてくれると思った。私は今まで何年間もK君の愚痴を聞き、慰めてきた。友人なんだから、今度は私がそれをやってもらえると思った。
 だけど、K君からは「君は愚かしい」という一文が届いた。意味が分からなくて「どういうこと?」と返信すると、いきなり「もうそんな人とメールも電話もしたくない。してこないでくれ」と返ってきた。いやいや、自分からしてきてたんでしょーが、と思ったし、私が送った仕事の愚痴もK君と関係ないし、K君が私を愚かだと罵る理由は全く見当たらない。私が何を言ってもダメで、一方的に絶交されてしまった。ショックすぎて1年くらい、K君と同じ苗字の人を見ると吐き気がした。
 出会い系で知り合った女にスクール水着を着せてSEXをしているというK君は「出会い系の女なんて汚くて愛せない」とよく言っていた。「彼女にするなら宮崎あおいみたいなキレイな子じゃないと無理」と言って、必ず彼氏がいる女の子を好きになるので恋人がいたことがなかった。そんな、女に対して「娼婦」と「処女」の2つのイメージしか持っていないK君は、私のことを一体どう思っていたんだろう、というのは、それから9年近く経っても何度か考えたがよく分からなかった。
 だけど、大島優子を見て、分かった。K君にとって私は、AKB48だったんだ! 大島優子だったんだ! アイドルだったんだ! 「優しいおばあちゃん」だったんだ!
 
 冗談じゃねえよ、Kの野郎。自分の要望(会いたくはない。会って顔見たらつまんないから。自分が電話したいときだけ出てくれるのがいい。自分の話ずっと聞いてくれて適度に慰めてくれればいい。だけど、そっちの人間的な苦しみを丸出しにされても困る。そんなことされたらこっちから切る)ばっかりで、私のことは人として見てなかったんだ。そりゃ、おばあちゃんから生々しい苦しみの相談されても困るよね。勝手にそんな風に思われて、私はもっと怒ればよかったのに、バカ正直に友人の一人だと思ってた。
 踊ってるだけで、観客の長年持っていた謎を払拭させる大島優子と15人の女の子に感動して、爆音の中、目頭が熱くなった。
 
 AKB48は基本的に、K君のような男性の心理に対してサービスをするアイドルプロジェクトなんだと思う。その根源は、「優しいおばあちゃん」を求める心だ。
 「優しいおばあちゃん」が女子高生みたいな制服を着て、元気に飛び跳ねて恋心を歌う。
 それは、男が作り出した男のためのサービスだけど、大島優子みたいな、男たちが想定したものを遙かに上回るほどの「優しくて気の利くおばあちゃん」を徹底して提供できる人がいると、作り手も観客も一気に食われてしまって、他のメンバーも揃って「AKBというグループで働いている人」を超えてしまう。観客がいるから歌っているのか、歌っているのを見させてもらっているのかなんだか分からなくなる。だから、観客はボーっと静寂してステージを見つめることになる。

 私のAKB48ライブ体験は、“お母ちゃん”が“息子”のよく行く風俗店を突き止め、“少女凌辱系”だと思ってビクビクしてたら、安定したナンバーワンがいる正統派な風俗店で呆気にとられた、という感じだった。
 3時間もあるライブが終わると、なんと出口に16人のメンバーが並んでいて、全員とハイタッチができる。どんだけサービスするんだ。最初がいきなり大島優子だったので、「すごかったです!」と叫んだら、「そ、そうなんだ」という感じのびっくりした笑顔で私を見てくれた。その瞬間、後ろにいたスタッフの男性にすごい勢いで背中を押されて、走る新幹線からホームにいる人を見るみたいなスピードで、16人とハイタッチした。

 「90年代のブルセラ文化が変な風に進化して生まれた気味の悪い団体」というAKB48への個人的な印象は160度変わった。帰りにAKB48の写真が入ったグッズを買わざるを得なかった。もし、MCで時事問題や自分達の置かれている状況を女として分析したりするようなおしゃべりしていたら、180度変わって私はAKB狂いになっていたと思う。だけど、AKBがMCでそんな話をすることは永久にない。それだけが180度へ届かない理由だった。


 その後、6月にAKB48の「選抜総選挙」があった。AKBの中で一番“茶の間”に浸透しているメンバーが1位になってしまった。指原莉乃は「笑っていいとも!」に出ているので、「タモリさんも千原ジュニアも応援している」とアナウンスされていた。AKB48の中では“色物キャラ”とされていて、つまりアイドルとしては正統派じゃないという意味だ。だけどそれは、ファンじゃない視聴者にも馴染みやすい人物ということでもある。そういう人が1位になって、ファン層とファンじゃない層がひとつになってしまった感じがした。
 選抜総選挙で1位になった人は、次の新曲でセンターで歌うことができる。指原莉乃のセンターの曲は、衣装がピエロみたいな、サーカスみたいなゴテゴテした服で、今までの水着やら女子高生の制服を模した生々しい感じがない。老若男女が「国民的」なものとして受け入れやすい、AKB48の今までの曲に比べるとオタク色の薄い、“おとなしい”曲だ。

 そして6月の終わりから、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で、海女さんになりたがっていた主人公が急にアイドルを目指す展開になった。
 総選挙で指原莉乃が1位になったことを、あまちゃんが後押しして、「アイドルを応援する」という行為が、一気に国民的行事みたいな意識になったと思う。別に意識的にみんながそうなったわけじゃなくて、「AKB嫌い」と言う人の「嫌い」が柔らかくなることで一気に浸透していくような形で、AKBの「気味悪さ」が薄まった。私自身も急にAKB48に対しての興味がなくなってしまった。異質なものとしての興味だったから、興味自体がなくなったということは、世の中で「普通」のものになってしまったということだ。

 居間にグッズを散らかし、ワケのわからない凶暴さを持つ“息子”が、急に結婚すると言って彼女を連れてきたみたいな感じ。彼女は猫耳を付けていて、アニメ声で、話していることもよく分からないが、“お母ちゃん”の前でも堂々と息子と何やらよく分からないグッズなど見てキャッキャと楽しそうだ。結婚するのなら、居間に散らばったグッズも片してくれるのかと思いきや、むしろ彼女が持ってきた分まで増えてしまった。でもまあ、“息子”が以前ほど凶暴ではなくなったように思う。それは、近所の人たちも「あんなに困っていた“息子”さんにお嫁にきてくれるだなんて、ありがたいじゃないの」と、“息子”たちをあたたかく見守り始めたから、“息子”も丸くなったのだろうか。でも、私があの時感じた恐怖や嫌悪感も事実なんだけどなあ…でも、まあ、これでいいのかもなあ…。
 そうやって“お母ちゃん”は、頭がボーっと、させられていく。

誘われた時の、私の逃げ方

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 なかしまあさみさんのブログの「死にたくなる、とはどういう状態か【自宅警備員日誌vol.12】」を読んで、私も「ベランダに出て、手すりから、地面をジーっと眺め」るという体験をしたことを思い出した。

 子どもが生まれて1〜2ヶ月くらいの時、夜の1時頃。夫とけんかして、ウワ〜〜〜っと血が昇り、頭をひやそうとベランダに出たんだったと思う。そんなことしたことないのに、手すりにつかまって真下の地面を覗き込んだ。下は芝生になっているんだけど、「すごく気持ちよさそうだな」と思った。芝生をじーっと見てると、芝生が近づいてくるような気がして、「もっと近づいたら、気持ち良さそう」と思った。その「気持ちよさそう」は芝生に寝転んだら、ではなく、ここから芝生へ落ちてみたら、だった。
 こうやって書くとなんだか怖いけど、その時は「死にたい」とかじゃなくて、ひたすら「ここから芝生へ直行したら、気持ち良さそう」に思えた。のぞき込むのがやめられず、顔を上げられない。

 以前友人から、「人は、死に誘われることがある」って話を聞いたことがあって、「私は今、誘われてるだけだから、誘いに乗ってはいけないんだなあ」とも思っていた。
 ゆっくり重たい頭を上げると、向かいのマンションの6本の植木の影が魔女のようなシルエットになって踊っているように見え、道路の照明もやけに明るく感じ、ハワイアンレストランとかにあるたいまつの炎に見えた。「本当に誘われているんだ…」って思った。子どもがいるのに死ねない、とか、まだやりたいことがあるとか、そういうのは別の世界の話って感じで、“ここ”ではそれらはなんの抑止力にもならなくて、「そうなのかあ」としか思えなかった。
 だけど目の前の、踊る魔女と炎が織り成す宴のようなものにピントを合わせてジーッと見て自分も楽しみ始めてしまったら、子どもがいるとかやりたいことがあるとか、それ自体の記憶が頭の中から消えそうな怖さが出てきて、もういい加減、もとに戻ろうと思った。ベランダに出て10分くらいは経ってたと思う。

 体が重たいというか、動きたくないというか、固まってしまっていて、どうやったらほぐせるか考えてたら、体の表面に少量の汗が出てきたのを感じた。怖くなってきたって感じで、それは“戻ってきた”って感じもして、霊とかを見たときは、お経を唱えると消えるってよく言うし、私は霊を見たことはないが、もしかして魔女や炎は霊の一種なのかもしれないと思って、心の中でお経を唱えてみた。お経つっても無宗教でよく知らないので、「なんみょうほうれんげーきょう」と適当に無心になって唱えた。すると体の感覚がだんだん戻ってくるというか、飛行機の着陸みたいな感じで、私の体から浮いちゃってた私の何かが戻って降りてくる、みたいな感じがあった。体が動いたので、向いのマンションは見ないようにして部屋に入った。数日後に見てみたら、いつもどおりのマンションだったので、ホッとした。
 今思うと、当時は自覚していたよりもかなり疲労してたんじゃないかと思う。ずっと夫と2人の生活だったのに、一人では何もできない人が急に家に現れて、本当は戸惑っているのに、戸惑っている自分を自覚しちゃうと発狂しそうだから押し隠して、夫も必死で毎日を過ごしてるのがわかるから、今までのようなけんかのパターン(家を飛び出す)ができなくて、いっぱいいっぱいだったのかも。
 
 今年、どうにも落ち込んでしまって、どうやっても明るい気持ちになれない時期があった。ヨガをすると自律神経が整うという記憶があったので、ヨガ教室に行ってみることにした。着替えてレッスンルームに入ると、まだ準備中で「入れません」と言われた。それがなんだか、ここにいる女の人みんなに拒否されたような感じがしてものすごく恥ずかしくてショックで、つらかった。こんなことでつらいと思うなんて、やっぱり今の自分はヘンだ、と暗い気持ちになったのだが、ヨガをして1時間後、スッカリ気持ちがラクになっていた。特に、ポーズの中で「地球の中心と繋がっているイメージをしてください」と言われ、自分の足の裏から根っこが伸びて、マグマに到達するという映像を思い浮かべた時。自分の中に何か降りてきたような感じがあって、心が落ち着いた。

 あまりにも即効性があったので、一体これはなんだろう、と調べたら、「グランディング」というものが一番しっくりきた。「アバンダンス」というヒーリング系のサイトにあるグランディングのページにはこう書いてある。
 「私たちはエネルギーのフィールド(オーラ)に包まれていて、怒ったり不安になったりするとこのエネルギーは上にあがります。『頭に血がのぼる。』という例えがある通りです。エネルギーが上にあがることで、その人個人の全体のエネルギーフィールドは逆三角形になります。逆三角形▼になると少しの外からの圧力(他人の感情、他人の意見、環境条件、等)でもグラグラとゆれてとても不安定です」
 たぶん、「エネルギーが上にあがる」というのは、地球から浮いてしまって離れてしまうということだと思う。陸に紐でつながってる浮き輪につかまって泳ぐのと、どこにもつながってない浮き輪を持って泳ぐのの違いのような。後者だとどんな泳ぎをしても不安がつきまとう。
 「グラグラすることで心はより不安になり、より恐れも強ま」り、「さらにエネルギーが上にあが」るという。「この状態がグランディングが切れている状態です」。
 「切れている状態が進むと人が私を責めている、人が恐い、(略)という感じにな」るというのも、ヨガのレッスンルームに入った時の自分にあてはまった。グランディングをつなげるには、「地球の中心」とつながるのが効果的らしい。ヨガでやったし、ベランダでお経を唱えた時も、「つながった」んだなと思った。

 グランディングや、浮き輪の紐が切れてしまっている状態のとき、「死」にも誘われやすくなるのではないだろうか。グランディングというものが切れてる状態の人のとこに、霊なのか、なんなのかは分からないが、そういう「死を誘うもの」がフワッと入ってくるような気がする。
 昔、AVに出てくれる女の子を街でスカウトする仕事をしていた人が、「ちぐはぐな服装をしている女の子にしか声をかけない」と言っていた。全身ビシッときまっていたり、ナチュラル系とかギャル系とかジャンルがはっきり分かる統一されたファッションをしている人は、あまりAVに出てくれないという。だけど、上と下で色合いやジャンルが違ったり、服はギャル系なのにノーメイクとか、「“ゆるい感じ”の人は出てくれる確率が高い」と言っていた。

 そういう感じで、「死を誘うもの」も、“地球から離れちゃっててグラグラしちゃってて弱ってる状態の人”をすかさず見分けるんじゃないだろうか。私は積極的に「死にたい」と思ってるわけじゃなかったから、お経で回避することができたのかもしれないが、お経を唱えるという行為は、頭の中の不安に集中せずに「無心」になれるので、その間に知らないうちに自分の防衛本能みたいなものが、勝手にグランディングしてくれて、「死を誘うもの」を追い払ってくれたんだと私は思った。もしまた、ベランダなどで誘われてしまったら、早口言葉でも意味のない言葉でもいいから、「無心に唱える」ということをしようと思う。

姑の呼ばせ方

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 私の姑は、無趣味で無欲で無害という印象だ。もしパート先で同僚として会っていたら、円満に働けそうな気がする。パート同士の内戦があれば、お互いひっそり身を潜めるタイプだと思う。だけど2人になった時、こちらが気を許して「あの人はこうですよねえ」と、他のパート仲間には言わない穢れた本心を打ち明けても、「まあ、人それぞれあるからねえ」と、かわされそうな気がする。わざわざ帰りにお茶する仲にもならない感じ。

 そんな物欲も自己顕示欲も自己承認欲求も感じさせない姑だけど、一つだけ頑なに主張することがある。「孫に『ばあば』とか『おばあちゃん』と呼ばれたくない」「他の呼び方で呼ばせてほしい」という。「何て呼ばせたらいいですか?」と聞いたら「それはそっちで決めて」と言う。
 めんどくさっ!
 
 でもやはり、何も要求してこない姑が言うんだから、尊重はしないと…と思い、呼び方を考えた。「ばっちゃん」が可愛いと思うが、「婆」の意味入っちゃってるから「ば」自体がNGワードなのかな。
 姑の名前「みつこ」から、「みつこさん」でいいかなと思ったが、うちの親戚に「みつこさん」が既に2人いて、紛らわしいのでやめにした。そしたらもうなんと呼ばせればいいのか分からなくなり、呼び方問題は放置することにした。

 姑は、22歳の時に第一子を出産したらしい。その話を、姑はキリッとした顔つきでハッキリと言っていた。そんな姑を見たことがなかったので、「ああ、それがこの人のアイデンティティになっているのだな」と感じた。姑のお母さんも出産が早く、42歳で祖母になったため、「おばあちゃん」と呼ばせていなかったという。「だから私も呼ばれたくない」と言っていた。
 でも、姑にとっての初孫(私が生んだ子)は、姑が62歳の時に生まれたわけだから、普通に「おばあちゃん」だと思う。でもなぜか、姑は「私を42歳でおばあちゃんになった人」として扱ってほしい、みたいな風情を漂わせてくる。そう主張されると、どうしても私は「ウッ…」と言葉を発したくなくなる。 
 工事現場とかでバリバリ働いてる感じのおじさんに「あたし、女の子になりたいから、女の子の名前で呼んで!」と言われたら、「どう呼んであげよう」と思う前に「ぜんぜん女の子じゃねえだろ!」って言いたくなると思う。でもそれは言っちゃいけなくて、でも「じゃあ『まみこ』でいい?」とサラッと言ってあげられる広い器が自分にはない。それらをいっぺんに認めなければならず、結果的に沈黙の時間になってしまう。
 それと同じ現象だった。「私は若い」って言われると、「いや、若くないんで。ばあさんなんで。」と、かたくなに否定したくなる。どうしてなんだろう。私は姑のことが好きでも嫌いでもなく、人としてはすごく苦労してる人だから、「夫が死んで一人になったら南の島に住む」と言う姑を私は全肯定している。その先で、運命の男性に会えたり楽しく暮らせたらいいね、って思う。
 だけど、姑が「私は若い」というのはどうしても受け入れられない。「そうですね」ってウソでも言えない。
 ネットでは、「美魔女」や「40代が『女子』と自称すること」が厳しく批判する人を多く見る。私は「どうしてそんなにイラつくんだ?」と思っていた。だけど、姑の「若いってことにしてくれ」という要求に、全く同じタイプのイラだちを感じる。姑を「若い」として扱うなんて、絶対絶対ヤダ。なんで??
 
 自分の心に聞いてみた。この姑に対しての気持ちに込められた、私のメッセージとは?
 「わきまえろ」
 だった。
 身の程わきまえろ。老人は老人らしくしてろ。すっこんでろ。「おばあちゃん」をやってろ。
 そういう凶暴な感情が私の中にあった。介護施設内の老人同士の恋愛事情を追ったドキュメンタリーを見て「すごくいい! 老人も恋愛すべきだよ!」ってはしゃいでたのに、実際には老人に対してすごく冷たい。老人と呼ばれたくない人に向かって「お前は老人なんだよ!」って言ってやりたい衝動があることを認めざるを得ない。
 
 他人に対してこういう感情があるっていうのは、私自身が普段、自分で気付いてないだけで、無意識にすごく「わきまえてる」からじゃないのかなと思った。そういえば最近、服を買う時「これは私には若すぎるかな?」と、判断基準にサイズとか値段とかデザインの他に「若すぎないかどうか」が加わった。他にも、自分でも気付かないうちに「30代らしく」喋ろうとしてたり、「この年ではもうできない」と諦めたりしてることもあるような気がする。
 年齢に“見合った”言動をしない人を批判するのは、生理的反応だと思う。それぞれの年代の枠にハマって「その年齢らしい言動」をすることは、世の中の秩序と人々の心を安定させる働きに繋がってるんじゃないかと思う。年齢に“見合った”言動をしない人は、わきまえてる”人にとっては、世の中のコントロールを乱す脅威の存在だ。
  
 娘の1歳の誕生日に姑からプレゼントが送られてきた。同封の手紙のしめくくりに、「若いばーばより」と書いてあった。
 今までで一番、イラッ! とした。

 この件を、人に話してみた。すると、「『おばあちゃん』と呼ばれたくない」と姑や母親に主張されることは、スタンダードなことらしい。「うちも母親が嫌がるから、和子って名前だから『かずちゃん』って呼ばせてる」とか、「うちは孫と出かけた先で店員さんから『おばあちゃん』と呼ばれるのも嫌がる」とか、たくさんの家庭で起こっていることらしかった。
 そう考えてみると、自分ももしかしたら、息子や娘やその配偶者に「おばあちゃん」って実際呼ばれる瞬間が訪れたら、「ちょっと待って!」って思うのかもしれない。そう呼ばれることで一気に老け込んでしまうような。でも、自分からこう呼んでっていうのは照れくさい。そういう気持ちかあ。
 それに対して「わきまえろ」はひどいかもしれないな、と思ったら、急に「若いばーば」と書いてきた姑へのイラだちが消滅した。
 
 話してくれた人たちのアドバイスを活かし、姑の名前 「みつこ」から、「みいちゃん」と呼ばせることに決めた。姑と1泊旅行で久しぶりに会った時、娘に「みいちゃんにこんにちわして〜」とさりげなく言って、定着させていく作戦を立てた。夫とも打ち合わせして、そう決めた。

 しかし、実際本人を目の前にして呼ぼうとすると、なぜか「ウッ…」と息がつまって「みいちゃん」の「み」の字も出てこない。なぜ…。ものすごく抵抗がある。でも呼ばなきゃ……み…み……ダメだ、私にはできない…頭痛がした。1泊2日一緒にいて、何度も何度も「呼び方は『みいちゃん』に決めました」と言おうとしたのに、言えない。だって宣言しても「みいちゃん」なんて呼べる自信がない。やはり私の中にはまだ「わきまえろ」精神があるのだろうか。
 そして未だ、姑の呼び方問題は放置されている。

「子供は常に母親と一緒にいたいもの」問題

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 小さい子供向けの朗読会に参加したら、“幼稚園行くのを嫌がる子供が出てくる絵本”が読まれた。幼稚園に行くのいやだよ〜と駄々をこねる子供が何人も登場し、最後のオチが「みんなお母さんといつもずっと一緒にいたいんだ」というものだった。ずっこけて図書館の床で後頭部を打つかと思った。
 絵本まで、そんなことを言うか。小さい子を持つお母さんたちがどんだけ一人になれなくて苦しんでると思ってるんだよ! と思ってしまった。(ちなみに作者は男性だった)

 「小さい子供は常にお母さんと一緒にいたいもの」というのは“太陽は東から昇る”とか“物を投げたら下に落ちる”とかと同じレベルの「当然」として語られてるけど、本当にそうなのだろうか?
 私は自分の子供の頃を思い出すと、「お母さんと一緒にいたくていたくて仕方ない」と思った記憶がない。母の実家によく預けられていたが、祖母や祖父や叔母がいれば十分だったし、小学生になると家に帰って母親がいないとすごくホッとしたものだ。私の母は過激な過干渉ママだったからだけど、各家庭いろいろ事情があるんだから「子供は母親と常に一緒にいたいもの」なんてことを自然現象のように語るのは、母親と子供を単に追いつめるだけだと思う。

 私の母は、私が小学生になるとパートを始めた。私は鍵っ子になるのだが、母が唐突に「学校から帰ってきてお母さんが家にいないと寂しいわよね?」と聞いてくる。ぜんぜん全く寂しくないどころかむしろブラボーなのだが、母に気を使って「さ、さみしいよ」とたどたどしく答える、という問答をたまに繰り返した。母は満足げな表情をするので、子供ながらに母が一方的に何かの安心を得ている問答だと気づいていた。さらにちゃんと母は「エイコちゃんが鍵っ子なんて可哀相だから」とか言っちゃってパートをやめてくる。「子供は常にお母さんと一緒にいたいもの」という“常識”を利用しているのはバレバレだった。

 そういう感じだったから、「子供は常にお母さんと一緒にいたいもの」問題に疑問を持っていたのだが、1年半“母親”をやってみて、「やっぱりそうでした。子供は24時間母親と一緒にいたがります」とは全く思わない。

 子供は自分勝手で、私が別の部屋へ移動するのを嫌がる時もあるし、一緒にいても私を無視して一人でどっかに行ってしまったりもする。私が追いかけてくるのを待ってる時もあれば、全然私のことを忘れて遊びに集中してる時もある。保育園へ行く時に泣いたことは一度もないけど、迎えに行くとぴゅーっとこちらへ飛んでくる。私が部屋で一人になりたい時に限って絡まりついてくる。ほっぺにチューしようとすると避けられることもあるし、恋愛のかけひきと同じで押されると引きたくなる、引かれると追いかけたくなる、という法則が小さい子供の中にはある気がする。
 24時間母親と同じ空間にいないとダメ、という子もいるのかもしれないが、私の子供(Nちゃん)からは、「24時間一緒にいてください」というメッセージは感じたことがない。
 ベビーシッターをよく利用していた時、たまに“ただの60代のおばさん”が来ることがあって、“ただの60代のおばさん”は、超でっかい声で「Nちゃ〜〜〜ん! Nちゃ〜〜〜ん!! おばちゃんが来ましたよ〜〜〜!!!(Nちゃん絶叫で号泣)おばちゃんですよ〜〜〜!!! あ〜!!! Nちゃん、キティちゃん着てますね〜〜キティーッちゃんっ! ほら、キティーッちゃんっ!」と延々と一人で破裂ボイスで喋り続けるだけなので、Nちゃんは鳴き死にするんじゃないか…っていうくらい大絶叫で泣き嫌がり、私に助けを求めてくる。仕事に行くのが本当につらかった。この“ただの60代のおばさん”が来た時だけ(3人くらいいたので何度もあった)は、さすがにNちゃんから「お母さん、一緒にいてください」というメッセージを感じたけど、それは「24時間」「常に」ではない。ちなみに“プロ”のベビーシッターさんはすごく落ち着いていて静かに手遊びを始め、Nちゃんはちょっと泣くだけですぐに笑って虜になっていて、私のほうなんか見もしなかった。(マジでスゲー!)

 「こういう時はお母さんじゃないとダメ」とか「別にお母さんじゃなくてもいい」みたいなのって、子供によって違うと思う。母親とは関係のない外的要因によって、母親と一緒にいないといられなくなる、ということもあるだろうし、逆に一緒にいなくても平気になるということもあるだろう。母親のほうも同じで、「ずっと一緒にいたい」って人もいれば「2〜3日ごとに会うのが一番いい」っていう人もいるだろう。赤ちゃんの世話はそうは言ってられないけれども、恋愛しているカップルにいろいろな付き合い方があるのと同じように、実際には十人十色の母子の組み合わせがあるはずだ。それぞれ違うのが当たり前なのに、「子供は常にお母さんと一緒にいたいもの」ってアッサリ簡単に言い過ぎだと思う。

 1歳半の検診のために保健所に行ったら、強制的に「育児相談」をしなければならないことになっていた。保健師さんが「一人の時間がなくてつらいってことはない?」とか「疲れてない?」とか聞いてくれる。私は今はなんとか大丈夫だが、「もしつらくなったら、いつでも話をしに来てね」と言ってくれた。ヤバくなったら相談に来るところがある、というのは本当に助かる。そうやって、育児というのは「ギリギリ」なものだという認識を、現場の人たちは持っているんだなと実感できたのに、図書館の絵本で「みんなお母さんといつもずっと一緒にいたいんだ」ときたもんで、気絶しかけた。

となりのオッサン

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 先日、テレビに「となりのトトロ」のワンシーンが映ったら、うちの子(1歳半)が「うあわあわあわ!!」って言いながら体を揺らして驚いていた。「あ、あれ見て…あんなやつがおる…」って感じで指をさしてこっちを見てきたので「トトロだよ」と教えた。
 「となりのトトロ」のDVDを借りてきて、見ることにした。しょっちゅうテレビでやっているから見ている気になっていたけど、最初からしっかり観たら、初めてトトロを見た12歳くらいの時の感覚をありありと思い出した。

 トトロを見つけるメイという少女の姉のサツキが、12歳の私は鼻について仕方なかった。サツキは大人の言うことを聞き、大人にかわいがられ、しかも妙に子供っぽくはしゃいだりもする。当時、ドラマや映画などで描かれる「子供」は、子供の私から見てリアリティが全くなく、「大人が望む子供」であることに非常に違和感を感じていたが、サツキはその最たる存在だった。

 それを思い出しながら34歳の目で見てみると、確かにサツキは「えっ?」と思う言動をする。サツキの家は、母親が病気で長期入院しており、父子家庭である。その為か、長女のサツキが何かと「母」的な「妻」的な振る舞いをするのだが、特に「はあ?」と思ったのは、父親が寝坊した際、ものすごい慣れた手つきで弁当をこしらえていたシーン。バツが悪そうにする父親を気の利く言葉でねぎらいながら、慌ただしくおたまで味噌汁をくるくるかき混ぜていた。こんな小学4年生いるか? もしかしたら現実にもどこかにいるのかもしれないが、いなくていいと思った。小学4年生はこんなことやらなくていい。

 高校時代の友人Aを思い出した。Aは母親が働いているため、父親の夕飯の支度をしなければならなかった。その為にいつもみんなより早く帰る。彼女は中学から高校まで、ずっとそういう生活を送っていて、仲が良かった私は長く遊びたいのにつまらなかった。

 ある日、学校帰りにAの家に寄ったことがあった。仕事から定時に帰宅していたAの父親は、居間で複数のチワワと楽しそうに戯れながらテレビを見ていた。Aはずっと台所で夕飯の準備をしていて、居間でチワワにキッスする父親の横で私はどうしたらいいかわからず、1時間ほど非常に気まずかった。
 Aが作った夕飯は小さいおかずがたくさん並んでいて完璧だった。「暴力をふるって家具を壊したりしてお母さんや弟を怖がらせるお父さんが嫌い」と言っている彼女が、反抗せず、どうしてここまでするのか、当時の私には分からなかった。(よく考えてみたら今も分からない)。明らかだったのは、彼女は決して、サツキのように父親に元気に声掛けしながら楽しそうに料理をしているわけじゃないということ。憮然とした表情で、一人で黙々と食卓へお皿を運んでいた。それは諦めと憤りと、更に冷静さが混ざった、複雑な表情だった。
 ものすごく聞き分けのよい子供が家事を本格的に日常的に担う(そのために家事スキルが大人以上になっている)場合、ああいった表情になるのが、“正しい”と思う。
 友人のその表情を見たのは高校1年生の頃で、私が「となりのトトロ」を初めて見た時から数年経っていたが、今になって、サツキに対しての違和感と、友人のあの表情がつながるのだった。

 そしてさらに私は12歳の頃に「となりのトトロ」に感じた最大の違和感を思い出した。トトロは4歳のメイに対しては無表情でそっけないのだが、小学4年生のサツキ(同級生の男子も一目惚れするほどの美少女)に対しては、顔を赤らめて照れたりする。そういったトトロがサツキを「女の子」として扱っている描写があって、それがすごいヤダ! と12歳の私は思っていたのだが、34歳の私もトトロめちゃくちゃキめぇ! と思った。

 私は、自分はトトロが好きだと思っていた。かわいい、愛らしい奴だ、森の主だなんて、私も会いたいなと思ってた。12歳の時にトトロに感じた「不平等さ」なんてサッパリ忘れていた。だけど、急にトトロがキモいおっさんに見えてきた。

 私は大人から異常に嫌われる女児だった。大人びていて媚びを売りながらも、急に大人たちの不正を暴くような詰問を始めたりする子供だったからだと思う。つまり、大人の世界を理解しながらも時に妙に子供っぽい、という点で、サツキと同じタイプだった。
 そんな私も、小学校1年生の頃は「担任の先生は田房さん(と他特定の女子)だけひいきしている」と言われた。自分ではよく分からなかったが、何べんも言われるし、そうなのかなあ、と思った。みんなに優しいおじさん先生だと思っていたかったのに、悲しかった。お気に入りの女子の手だけよく触る、と噂もあった。確かに先生は私の手をよく握った。

 「となりのトトロ」に出てくるサツキの周りの大人たちは、すごく“オトナ”で物わかりがよく、平等で、子供の夢を絶対につぶさない。私はサツキにではなく、サツキの環境に嫉妬していたんだなあ、と思った。
 だが、トトロだけはキモい。トトロだけは、現実のおっさんの女を見た目や年齢で判別し態度を変化させる不平等さを所有している。
 
 先日、とあるワークショップを受けに行ったら講師のおっさんが小奇麗なお洒落オヤジだった。小奇麗にお洒落にしているオヤジは大抵そうなのだが、無意識な感じで若い女の子をジーッと見たりする。この講師も例外ではなかった。「あっ! じゃあ若い人がいるから聞いてみようかな!」と、若さは全く関係のない場面で「若い人」を指名したりしていた。30代の主婦みたいな女に対しての無表情と、20代の学生風の女へ向ける楽しげな表情に明らかに差がある。その差が、トトロによるサツキとメイに対する態度の違いと完全にかぶった。森の主のくせに、おっさん。何故…。

 私が「トトロきもい」「どうして人間のおっさんのよくある特徴がトトロにだけ入っているんだ」「トトロよりもこの村の人たちのほうが、現実離れした不思議な生き物だ」と、一緒に「となりのトトロ」を見ている夫に言うのだが、「何を言っているのか分からない」と言う。夫はジブリに思い入れがあるわけではなく、トトロも今回初めて見たという。しかし私の「トトロはキモイおっさん」という感覚は分かち合ってはもらえなかった。

 私はきっとずっと、トトロから見たサツキとメイ、その両方の立場に勝手に置かれてきたんだと思う。女の子だからと先生から手を握られ、大人びた子どもとして煙たがられ、中学生で制服を着ているだけで毎日のように見知らぬ男から性的な嫌がらせを受け、20歳になった途端に痴漢に遭わなくなり、30歳を過ぎればワークショップの講師に無視される。私は何も変わらなくても、周りのトトロたちは勝手に私をサツキ扱いしたり、メイ扱いしたりする。
 男である夫も、若い時と今では、いろいろ違ったりもするだろうけど、その違いは「女の子」ほどではないのではないだろうか。
 


おしゃれカフェの床を拭く私のしつけ論

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 このあいだ、数ヶ月ぶりに娘(1歳半・Nちゃん)と二人で外食した。
デパートの中にある、オーガニックカフェ。お腹がすいたというよりは、私が疲れちゃったのでお茶したかった。店内には大人の女性しかいなかったので、「子供もいいですか?」と店頭で店員に尋ねた。「大丈夫ですよ」と言われ入ってみると、子供用の椅子が用意されていた。そういえば子供入店NGのお店ならば、店頭に貼り紙とかしてあるし、入った時点で断られれば入らなければいいだけの話なのに、なんで私はわざわざ聞いたのだろうか? 
  隣に並び合う席に、Nちゃんと着席した。お水が入ってるガラスコップには、押し花みたいな模様がついていて、超ほっこり。テーブルもおしゃれだし、いい感じのお店だわ〜とメニューを見ていると、なんだか女友達と一緒にいる気分になった。私がこういうお店に入るのは、一人の時か、女友達とだけだから、隣にいるNちゃんのことを“女友達”と錯覚してしまい、脳が混乱した。
 Nちゃんは「こぇ〜 こぇ〜(コップのお水飲みたい)」とか「はぱ はぱ(葉っぱがここにあります)」とか延々と一人でしゃべりまくっている。1歳児は、女友達みたいに一緒にカフェに入っても“例の離婚危機の夫婦の続報”を聞かせてくれるわけでも、メニューの気になるドリンクを頼んで感想を教えてくれるわけでも、私が最近会った変な奴の話を聞いて驚いてくれるわけでもない…。ファミレスだったら気にならないことも、おしゃれオーガニックカフェだと不思議と際だった。

 「豆ごはんどんぶり」みたいなメニューがあった。オーガニックな感じなのでNちゃんは食べないだろうと思ったが、一つ頼んだ。子供用の皿をつけていてくれたので、Nちゃんの好きなプチトマトをとりわけようとしたら、Nちゃんは大人用スプーンをギュッと握り、私の手を振り払ってどんぶりから直接ガガッ! と豆ごはんを食べ始めた。おかしいかもしれないけど、私はびっくりした。自分がそのどんぶりで食べようと思っていて、Nちゃんには分けてあげようと思ってたから。私が頼んだ料理を女友達がいきなり無言で食べ始める、みたいな衝撃があった。「エッ!」と思った。
 そしてNちゃんは「あち〜!(熱い)」と言ってべーっと口から出し、私が慌てていると、また果敢にも熱い豆ごはんをすくってモリモリ食べていた。ボロボロと床まで落ちるごはん。子供のそういう食べ方は見慣れているはずなのに、カフェの光景としてはめちゃくちゃ違和感がある。私はドキドキした。
 数ヶ月前に外食した時は、Nちゃんはボーッとしていた。豆腐ハンバーグを手にとって、ゆっくりモグモグしていた。だけど今回は無心でムシャムシャ食べていて、途中で「こえ〜(牛乳飲む)!」など的確に要求し、自分の食事を遂行していた。私は「自分の食べ物を食われた」というのと、「Nちゃんの成長ぶりがすごい」というのと、あっけにとられてその様子を眺めていたいような気分だった。
 だけど自分の子供だから、驚いてるヒマもなく世話をしなくちゃいけない。むしろ周りから見たら「そんな食べ方」は、母親である私のせいになる。1歳ならまだいいが、もう少し大きくなったら完全に母親のせいになる。

 そんな私の戸惑いなんか目もくれず、Nちゃんは結局一人で食べてしまった。その間、私は幼児用の椅子にくっついたごはんをおしぼりで拭き取り、持参したウェットティッシュで机を拭き、Nちゃんの服のシミをとり、を繰り返した。もう一体、どこまでキレイにすればいいのか分からなくなり、テーブルにもぐりこんで床をキレイに拭いた。

 「子連れでもいいですか?」と聞いたり、床まで拭いてしまうのは、「迷惑がられるにちがいない」と自分が思い込んでいるせいだ。私は、知らない人に注意されたりするのを怖がっている。世の中が「子供のしつけは親の仕事」ってことになっているから、無意識にやらないといけないと思って拭いたりなんだり体が勝手に動いている。だけど私自身は、子供の食べこぼしを徹底的に洗浄しないと気が済まないんですという人間ではない。
 
 ランチタイムの飲食店で床とかそこらをべっちゃべちゃにしたり、立ち上がって店内を歩きながら食べたりするサラリーマンとか、奇声を上げながら騒いで食べるOLなど、見たことがない。みんな各々が学校とかで周りを見て無意識に修正した結果なんじゃないだろうか? だってそういう「食べ方ヘンな奴はダメ」という空気がすごいから、その空気に入るだけで矯正される気がするし、矯正されない人は食べ方以外でも周りの空気を読むってことをしない生き方の人だから、それでもういいんじゃないかと思う。

 「箸の持ち方」なども、大人になって本人がいやだったら克服すればいいと思う。だけど何か「親のせい」とか「育ちの良さ悪さ」とかの話になる感じが息苦しい。
 そういうことを「家事も育児も一切を妻に任せていた」と言うおじさんに話したら「子供の箸とか食べ方はちゃんとしつけないとだめだよ」と諭されて、ええ〜ッ? と思った。
 私の父親もそういえば、私の食べ方にだけはすごくうるさかった。普段私に何も話しかけてこないのに、一緒にごはんを食べる時だけは、私がお味噌汁をひっくり返すと手の甲や太ももをひっぱたいてきた。それが痛いしビックリするのですごく嫌だった。だけど何故か、父と一緒の時しか私は味噌汁をひっくり返さないのだった。父がいる時は、手がつるつるとよくすべった。
 今思えば、父からは「俺の出番」的な、「普段育児何もしてない俺の担当、食べ方指導」みたいな気迫を感じていたんじゃないかと思う。だから、父の見せ場(私の食べ方に怒る)を作ってあげなきゃ! と無意識に味噌汁をひっくり返していたのではないだろうか。単純に緊張してそうなってたのかもしれないが、それくらい、父といる時に限って、だった。

 そう考えてみると同年代でも、私の周りでは他人の食べ方マナーに厳しいのは男のほうが圧倒的に多い。そういう男って、他のマナーがめちゃくちゃだったりする。デリカシーのない発言をしたり、人のたばこを勝手に吸ったり、電話をものすごい勢いでガチャ切りしたり。「俺、箸持ち方ヘンな人ダメなんだよね」とか言うと、その瞬間から別の「ダメなところ」がやたら目立っちゃう。自分でどんどんハードルを上げているのに、彼らは自信満々に人の「マナー」について語る。

 それで思い出すのが、児童虐待のニュースの記事だ。ただ事実を伝えるんじゃなくて、筆者の主観がめいっぱい入っている記事を最近よく見る。筆者はたいがい男性で、「母親の性格が異常だからだ」とか、「最近の母親は甘やかされているからそんなことをする」とか、表面の薄皮1ミリレベルの浅さで、「虐待が起こる原因」を言い切っている。「僕は虐待が起こらない原因を追求したい」と書いてはいるが、そこには「僕のお母さんはこんなことする女じゃなかった(だから虐待する女は異常なんだ)」「僕のお母さんは立派だった(どんなことも忍耐していた)」という主張しか感じられない。実際書いてあったりもする。
 他人の食べ方や箸の持ち方をやたら批判する男もこれと同じで「僕のお父さんお母さんは立派なんだもん!」って言いたいだけなんじゃないかなと思う。

 とか、いろいろ心では思っているのだけど、私は空気を読みまくって飲まれまくるので、娘には世の中に沿った「正しい食べ方」のしつけをしてしまうと、思う。

痴漢カウンセラー池宮周作

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 去年「刑事のまなざし」というドラマが放送されていた。その第7話が「母と娘の呪縛」がテーマで、かなり面白く作られていた。
 刑事役の椎名桔平が、娘を縛りつける母親に「気づいてください。娘さんとあなたは全く別の人間だと。お嬢さんを手放してください」と諭したり、「家族の病理は連鎖するんです。その連鎖の始まりにいるのはきっと、親であることに真面目すぎた普通の親です」とか渋い口調で言っていた。あー、原作の人か脚本の人がしっかり「母娘関係の難しさ」について調べてるな〜! と思える内容だった。そういった母娘呪縛の要素と、殺人事件がうまい具合に絡まりエンターテイメントとして成立していた。
 今まで観たドラマでは、「母を嫌う娘」というショッキングな部分だけを切り取られ、最後は突然「そうは言っても母と娘の絆は強い」と強引なオチになっていることがほとんどだった。
 「刑事のまなざし」はすごいぞ! と思った。実際に椎名桔平が全国の「母の過干渉に苦しむ娘」の家庭へ行って母親へこんな風にダンディーに諭してくれたら、少しは“毒母”たちの猛獣っぷりも一時的にでもおさまるんじゃないだろうか、なんて夢想しながら楽しめた。
 予告を観ると、次回は「痴漢に遭った女子高生を救えるか」というテーマ。「刑事のまなざし」なら、今までにない「痴漢被害者の真実」を見せてくれるに違いない。期待大だ。

 しかし次の週、ものすごくガッカリさせられた。
 バスの中で痴漢被害に遭って以来、自傷行為を繰り返す女子高生。犯人のオッサンとバッタリ会ったりしているうち、心の交流をするようになる(ありえないけど、ドラマではありがち)。実は、女子高生は悪い男に撮られたエロ画像で脅されていて、男の命令でオッサンを痴漢にでっちあげて脅して金を騙し取ろうとした、その罪悪感から自傷行為をしていたという内容だった。別に「痴漢」でなくても他のことで代用できる内容だった。
 日本のドラマでは、「痴漢」は「でっちあげられた冤罪を表現するツール」として使用されることがほとんどだ。実際の痴漢の事実が描かれているドラマは見たことがない。

 去年人気だった、弁護士ドラマ「リーガル・ハイ」でも、「痴漢」を扱ったシーンがあった。クラブで踊る女が、隣にいた男に「触ったでしょ!」と怒り、男が「お前みたいなブス触らねえよ!」と喧嘩になる。そこに居合わせた「“ドS女王系”判事」役の広末涼子が、「あなた触ったんじゃないですか? ここの店の防犯カメラを観れば判明するでしょう」とワイン片手に仲裁に入る。ひるむ男に対し、「これは、立派な痴漢行為であり、『ブス』と罵ったのは、女性に対する侮辱行為です! 何より男性として愚劣です!」と言い切る。そこで「そうよ!」と言った女に対し、「あなたもこのような遊興施設に露出の多い服装で来たのであれば、痴漢行為が誘発されるのは想定するべきです!」と言い、「両者共に、大人としての振るまいができないのであれば、今後出入りを禁じます!」と“判決”を下していた。
 「リーガル・ハイ」自体、リアリティよりもギャグ要素が強いドラマなので、広末涼子演じる「ドS女判事」の人となりの紹介としてのたわいのないシーンだったが、ドラマで「痴漢」はこうした“たわいのないもの”として扱われることも非常に多い。
 
 2010年に放映されすごく面白かった、ママ友バトルドラマ「名前をなくした女神」でも、「痴漢」がものすごい描かれ方をしていた。夫がバスで女子高生の尻を触っているところを見てしまう妻。実は夫は会社でセクハラ容疑をかけられ、それがつらすぎてバスの中の女子高生を見た時に女に対しての憎しみがわきあがってつい触ってしまった、というオチだった。テレビの前でずっこけた。
 そうやって「会社で人格を破壊されるようなつらいことがあって善悪の判断がままならないほど心身衰弱してしまった男の行動」として、「痴漢」が描かれる場合もある。「ちょっとあの時どうかしていただけで、“本物”の痴漢ではない」という弁明。夫役の俳優は、痴漢シーンで無表情で女の尻を機械的に触っていた。
 テレビで流れる「痴漢シーン」の男はいつも無表情だ。しかし実際の痴漢はそんな無表情じゃない。血走った目をきょろきょろ動かして女を物色し、不自然にターゲットに近寄り、動作もおかしい。股間もテントが張っている。心身衰弱状態なんかじゃない、むしろギンギンだ。
 
 こんな風にテレビドラマでしょっちゅう「冤罪でした」とか「たわいないものです」とか「女も気をつけるべきなんです」とか「心身衰弱でした」とかいうオチを日常的に流すというのは、「現実には、痴漢なんて存在しない」というメッセージを流しているようなものだと思う。「痴漢は、心身が衰弱している状態の男が悪気なくなってしまうもの、若しくは女側に悪意がある全くの冤罪」という表現で、事実(電車内で勃起し発情している男が毎日無数に電車に乗っている現実)を隠蔽していると言ってもいい。

 これを「振り込め詐欺」で例えたい。刑事ドラマで「振り込め詐欺の容疑者は、実は無実であり、彼を訴えたおばあちゃんが実は嘘をついていたのです」という結末がしょっちゅう流れてるようなものだ。
 そんなものを観ていたら視聴者は無意識にでも「振り込め詐欺って犯罪は実際にあるのか? ばあさんの勘違いなんだろ? ばあさんという生き物は自意識過剰だからな」とか思考していくようになるのが自然だと思う。
 
 でも、振り込め詐欺に騙されたおばあちゃんに、「あなたもこういう詐欺があるって分かってるはずでしょう」だとか椎名桔平や広末涼子が諭すドラマなんて、観たことがない。そんなもの流したら、視聴者は「ふざけんな! 振り込め詐欺を軽く扱うな!」って批判するはずだ。
 だけど「痴漢」はとても軽視されている。痴漢冤罪ネタが、ドラマでも情報番組でも流れるのはニーズがあるからだ。それを観て「ほら、冤罪が多いんじゃないか」と胸をなでおろす層がたくさんいるんだと思う。その層が楽しめれば視聴率が安定するから、そのために「痴漢」が軽視されることが当たり前になり、実際に痴漢に遭った時、被害者が声を出しづらい環境を作り上げている。
 ドラマの中で、「痴漢」をたわいのない“軽犯罪”として使用するのは、日本の歪んだ伝統的な表現、文化として仕方ないとしても、だからこそ、「歪んでいる」ということも認識するべきだと思う。そのためには、「痴漢をしてしまう男とその家族と被害者のリアルドラマ」をテレビで流すべきである。
 
 痴漢をしてしまう男たちを治療したりカウンセリングする、カウンセラーがいる。彼らを主役にしたドラマを流すべきだ。
 椎名桔平主演で「痴漢カウンセラー池宮周作」みたいなタイトルで、痴漢逮捕に怯える男や常習でカウンセリングを命じられた男たちを、医学や心理学とかいろいろなプログラムでその女性観や倫理観を更正していく2時間ドラマをやるべきである。痴漢で悩む男には平田満や杉浦太陽、もう手の施しようのない極悪な痴漢男として萩原健一をオファーしたい。
 男たちは、「痴漢って、本当にいるんだよ」という都市伝説としての痴漢や、「こんなことをされた」というエロ話としての痴漢体験談は大好きなくせに、「痴漢被害で苦しみ怒っている女の話」は大嫌いだ。目をそらすし、自分が責められていると勘違いして急に怒り出す奴までいる。
 だから「痴漢カウンセラー池宮周作」は、あくまで男が男を救うヒーロードラマ、として成立させなければいけない。桔平が男たちを救うドラマなら、男たちも観るだろう。
 「痴漢カウンセラー池宮周作」を流すことによって、椎名桔平のかっこよさと共に、痴漢の実態を知らせたい。私自身、シナリオ教室に通って「痴漢カウンセラー池宮周作」を書こうという気持ちになった。のだが、まずは漫画で描くことにした。しかし、現在の自分の仕事状況や取材なども含めて3年はかかりそうだ。その内に同じようなドラマが流れる世の中になっていればいいのだが、まったく期待できない。

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